寫眞繪畫#夢の跡 | 春夏秋冬✦浪漫百景

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季節の移ろいの中で...
歌と画像で綴る心ときめく東京千夜一夜物語

夢の跡

遊廓(ゆうかく)は、公許の遊女屋(女郎屋)を集め、

周囲を塀や堀などで囲った区画のこと。遊郭とも。

遊廓の成立は、安土桃山時代にさかのぼる。

別称として廓(くるわ)、傾城町(けいせいまち)ともいう。

広義には、芸妓を含んだ花街(はなまち、かがい)や、

色里(いろさと)、遊里(ゆうり)、

色町(いろまち)など私娼街も含めた通称である。

江戸に遊廓が誕生したのは1612年(慶長17年)である。

駿府(今の静岡市)の二丁町遊廓から遊女屋を移して

日本橋人形町付近に遊廓がつくられ、これを吉原遊廓と呼んだ。

吉原遊廓は明暦の大火で焼失。

その後浅草山谷付近に仮移転の後、すぐに浅草日本堤付近に移転した。

人形町付近にあった当時のものを「元吉原」、

日本堤付近に新設されたものを「新吉原」とも言う。

 

「洲崎」の赤線跡(現在東陽町)です。

江戸時代から辰巳芸者や相撲興行などで遊興の場として名高い深川に近い洲崎。

 

この建物は、昔遊郭で使われていたのだとか。

歴史ある建物ならではの趣が感じられます。

 中庭を囲む回廊や武者風呂も風情があり。

今や数少ない遊郭建築、文化財として大変貴重なお宿です。

(山口県萩市)

 

 

 

備前屋

江戸時代、外宮と内宮を結ぶ街道沿いにあった古市(ふるいち)は、

江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊郭のひとつに数えられました。

最盛期の天明年間(1781 ~1789年)頃には、

妓楼70軒、遊女1000人、大芝居小屋2軒、浄瑠璃小屋数軒の大歓楽街でありました。

古市の遊廓の中でも、

備前屋(びぜんや:別名 牛車楼・桜花楼)、杉本屋、油屋は別格で、

中でも備前屋は古市屈指の大楼閣で大広間「桜の間」を持ち、ここで客をもてなす為に、

亀の子踊り(伊勢音頭の総踊り)を遊女に唄い踊らせるので有名でありました。

【豊国画「伊勢古市踊之図」】

この大広間が、

備前屋のもう一つの別名である桜花楼(おうかろう)の由来となったそうです。

石標です。備前屋の左隣り(南隣り)に杉本屋がありました。

 

「 麻吉 あさきち 旅館」は古市の中で往時を偲ぶ唯一の宿屋。 

往時は “花月楼 麻吉” の名で多くの芸妓を抱えたお茶屋でした。

三重県伊勢市にある「麻吉旅館」は、

嘉永4年に「花月楼 麻吉(かげつろう あさきち)」として創業した妓楼で、

時期は不明ですが屋号を「麻吉旅館」へと変更した転業旅館です。

 

 

新潟県新潟市にある「旅館福田」は、

明治21年頃に「福田屋(ふくだや)」として創業した妓楼で、

時期は不明ですが屋号を「旅館福田」へと変更した転業旅館です。

 

新潟県佐渡市にある「金沢屋旅館」は、

明治20年に「金澤楼(かなざわろう)」として創業した妓楼で、

時期は不明ですが屋号を「金沢屋旅館」へと変更した転業旅館です。

 

 

1877年(明治10年)から1958年まで

約80年間続いた遊廓の面影を残す猪崎(京都府福知山市)

 

阿部定が遊女人生の最後を過ごした大正楼。

2019年解体京口新地(丹波篠山市)

 

 

飛田新地 大阪

大阪市西成区の「飛田新地(とびたしんち)」には

日本最大級の遊郭が残っており、「鯛よし百番と飛田新地」によると

「難波新地乙部遊郭が1910年に全焼したのを受けて、

1916年に飛田遊郭が生まれました。

1912年に完成した旧通天閣を中心とした新世界は、

第1次大戦後の好景気で大いににぎわいます。

新世界からほど近い飛田遊郭も昭和初期には200軒を越える妓楼が軒を連ねます。

戦災でほとんどの店は消失しましたが、再び赤線としてよみがえり、

1958年の売春防止法以後は料亭に転じたことで、

現在もなお、伝統的雰囲気を色濃く残す街並みとその営みが保たれています。

非常に貴重な建物が多く残っており、

実際にこの地域の最も古い建物であり、

料亭でもある「鯛よし百番」は国の登録有形文化財にも認定されるほど。

飛田遊郭(とびたゆうかく)は、

大阪(天王寺)から徒歩10分程度の場所にある遊郭、

赤線の事で現在は料亭と呼ばれています。
ちょんの間と呼ばれる事も。通称は飛田新地。

 

「大阪新町」

吉原や島原に負けず大阪新町の女たち

現在の住所でいうと、大阪市西区新町1丁目と2丁目の辺りにありました。

この場所、実は心斎橋のすぐそこ。

ガイドブック

まだなんのテキストも書かれていないのに、

突然のプロフィール写真。しかも、1ページに5人ずつ、

9ページにもわたって50人近い女性たちのご紹介ページが続きます。

おそらく芸妓さんだと思われますが、全員名前入り。

明治36年に発刊されたものです。

新町遊廓のガイドブック的な形で発行されたものらしい。