先日面白い経験をしたんですよ🚗
ある方とスピーカーフォンでかなり熱く語っておりまして
ポッと出た言葉に自分でなるほどなって
よくぞ言った、そうなんだよ、それでいいんだよって
自分で自分にマルした
『俺は下に降りちゃダメ
俺は変わらない(変われないし)
俺に変われって言うなら、
それは俺の足枷になる
それで俺がどう思われようと損しようと、だとしても俺は変わらない
譲れないもんは譲れない
じゃないと俺が俺でなくなる
俺が誤解されるって言うなら、伝わらない人には俺の真意を通訳してよ、必要とアラバ』
的な事をダーッと言ったわけ
でも僕は人の意見は聴く方
聴いた上で譲れるもんはあっさり譲る
その方がベターだとおもったら、まじであっさり
でも、これは譲れんって思うもんは本当無理
それは感覚的で直感的なんだけど、何故かいつも正しい
だからそうなんだよね。
ポッと出てきたこれは俺の中で長年腹の底に澱んでいたもんだったのかもしれない
僕の観てる世界、未来って誰でもが見通せるモノじゃないんだもんよ
その人の可能性とか
すんごい本質的なもんまで全部見えちゃう
本当はその人が出来ちゃうことだったり、
今何につまづいているのかだったり
僕は僕で、僕の戦いをしてるわけだけど
その戦いを自分で諦めることは絶対にない
そういう僕を理解できる領域の人は
そんなにいないのが普通
多分、俺変人だもん笑
他の人とうまいことやっていくのとか無理な時は無理。だってアーティストだから
譲りたくないもんは譲りたくない
じゃないと感動の領域なんてさ、腹の底から感動するとかさ、魂が震えるほどの体験なんか与えられないじゃんね
譲ったら俺が俺でなくなる、俺が描きたい、俺に視えてる世界が描けなくなっちゃう
俺は無茶苦茶だからいいんだよ
俺が俺を好きかどうかだろって
俺がやってることを俺が愛せるかどうかだろ
俺は俺を表現するために生まれてきたんだ
人の顔色伺うために生まれてきたんじゃねー。
舞台では、この100%突き抜けた感覚が、神を宿す、間違いない、それ俺やってきたからよくわかる
そして舞台も人生もビジメスもおんなじ
舞台の時は、完全に
俺の絶対的な確信に対して、完全なる信頼を抱いてくれる人達がいて
そういう人たちも、最初はよくわかんなかったりするんだけど、よく分かってなくても、俺の言った通りやってみたら
え??って驚くほど客の反応が変わるとか、ちょっとしたこと言われた通り変えたら客席が揺れるような笑いがくるとか
そうすると
この人の言う通りやれば間違いない
最終的に自分がこれまで観ていなかった景色のところまで自分を連れて行ってくれるって
そこまできたら、もうどうとでも好きなようにしてくださいとwいう感じになるんだよねw
こういうことやってって言うと
えーー💦って言いながらやってくれて、
爆笑かっさらったりね🤣
それと近いところまでビジネスの時の腹が決まってきたのかなって感じがした
俺は俺であることをもう認めるしかない
沖縄のユタのおばあにもっと嫌われろって、言われたけど、こういうことねって
(このおばあは、会うととんでもない確信をつく婆さんなんです)
自分の最高のレベル追求するだけよね
そしたらもっと最高な仕事するんだから
それが感動を生み、人を幸せにするんだもんよ
これはみんなに言えること
俺、人に嫌われてもいいから、
自分を大好きでいられる仕事をしてたい
「俺はひっくーい次元でやり取りしたくないんじゃ!」って腹の底から思いっきり言ってたよねw
そしたらもうスッキリしちゃって
あー、おもしれーなぁ。
生きるって
人間って
自分って
腹で生きるってこういうこと。
腹の底には愛と情熱しかないんだもん
損するとか得するとかそんな次元の話じゃなく
もっと突き抜けてしまえっておもったのさ。
そんなもんに囚われてたら
命の本質わっかんねーんだな、なるほどなって
すげ〜気づかされた。
みんな
三次元に、つまんねーことに縛られんな
自分が思っている以上にすごい存在だよ、みんなは。
俺はまず今日、自分に対してそうおもった
これはすごい感覚
元々コンプレックスとネガティヴマインドの塊だったんだからさ俺。
俺が俺すげえなぁっておもったのと同じように
あんたもすげ〜んだぜ、すげ〜可能性なんだぜっていうことだよね
自分の凄さに気づいたり、認めたりしなきゃダメなんだよな
とっととそれやったほうがいい
つまんない、しみったれの人生送ってないで。
もっと嫌われてしまえ、もっと突き抜けてしまえ、もっとやり切ってしまえ。
自分爆発、いのち爆発、芸術は爆発だ
だね