人を愛するということ。
それはいったいどうゆうものなのか
あなたにはわかりますか。
おそらくその第一歩は自分を愛するということ。
よく、まず自分を愛しなさいと、聞きますが
それはいったいどういうことなのか
あなたにはわかりますか。
人は、様々な経験を経て
自分というものをおそらく一つの個体であると認識する。
その経験と、浮き世の中で
様々な余分なものを切り捨てながら、
過去と向き合う。
あなたは過去の全ての経験が、
今に生きていると思いますか。
人は、過去のすりこみに対して
未来の自分を想定し、
そして夢を描き、
時に迷宮に迷い込む。
あなたは今どこにいますか。
この問いに対して、
自分は答えることができない。
今とは何だろう。
いったい今どこにいる。
今という概念すら、
自分の中で消化できずにいるのに
今苦しいと思ったり、幸せだと感じた心だけは、
過去として蓄積されていく。
そして次の瞬間、自分は未来に立っている。
あなたに点はあるだろうか。
その点は、今どの次元にありますか。
あなたに天はあるだろうか。
それは、あなただけを見下ろしてるだろうか。
全てを見下ろしてるだろうか。
天は点だろうか。
あなたのベクトルとそれは交わるだろうか。
それとも違う次元をただ一方向に進んでいるのだろうか。
天には質量があるのだろうか。
もしくは次元そのものが天なのか。
天には神様がいるだろうか。
宗教観のない自分にとって、
神様と言うのは、
もちろん実態もなく
常に感じられるものではない。
でもあえて神様がいるとするなら
それは自分自身かもしれない。
宗教観のある人間にとって、
その神様は時に残酷で
人々を囲い込み、争わせたりもする。
大切であるはずの家族でさえ、
信じる神が違えば
銃を突きつける。
これは正しいのだろうか。
そして
宗教観のない自分にとっても、
時に神は、
ただ一度の過ちでさえ許さないこともある。
それは果たして必然だろうか。
人間万事塞翁が馬
という言葉がある。
光と陰が存在するといわれる。
相対的な世界を考えた時。
禍福というものもまた同じように存在するのだろうか。
あなたが今全て満たされていても
それはあなたを成長させる苦しみを感じるための過去になるのかもしれない。
あなたが今何かに苦しんでいても
その苦しみがもたらす幸せもあるに違いない。
全ての世界があやふやで。
自分の立ち位置もわからないまま
ただ時だけは過ぎていく。
でも日々感謝の心だけは忘れない。
ありがとう。