善と悪 | 千厩城主末裔 金野龍玄太祖 (岩手県一関市千厩町)

千厩城主末裔 金野龍玄太祖 (岩手県一関市千厩町)

第56第清和天皇の末裔 清和源氏の血を脈々と受け継ぎ千年の時を経て時代は冷和へと時代は移り代わる。

善と悪

日常の暮らしの中で私たちは知らず知らずの間に、善と悪をはき違えていることに気づかずにいる。

それはニュース等の報道で結果だけを知らされていることが起因しているからである。
国家が法律で定めた膨大な罪を限定する憲法がある。テレビ報道はその結果だけを捉えて逮捕された事を重視している。
毎日様々な罪を犯し逮捕される報道は、繰り返し後を絶たない。

いつ誰が犯罪を犯し逮捕されてもその情報は、逮捕される人と罪状が変わるだけで見聞きする人々の脳を麻痺させるほど日常的なことなっているからである。
報道陣やテレビ局が特に注目をするのは、誰もが知る著名人の場合である。しかしその著名人も、テレビ局と報道陣が押し上げた人物に他ならない。
しかしながら著名人の中には、あまり知られていない人がいる。
名が知られている著名人と、知られていない著名人の違いを知っているだろうか。
私たちが情報を得る媒体はやはり、テレビ報道や新聞そしてネットと広範囲へと進化している。
では人々が何故著名人に注目しているのであろうか、人間には生きる為の欲求がある。男性が注目するのはもちろん女性だ、女性ならば男性ということになる。
人々が注目しているのは、職業と収入なのである。
スポーツ選手、歌手、俳優、実業家、医師や政治家といった富を得た人々を人間が注目するターゲットということである。
つまり著名人で誰もが知る人は、どれだけ高額の収入を稼ぎ出しているかで決まる。逆を言えばテレビに多く出演している著名人は、大きな金額を稼いでいる人ということが言えるのだ。
著名人の中でやはり高額収入を得ている人がテレビ番組に多数出演している。
つまり一般の人が著名人の情報を得る為に、様々な媒体が数多く作られている。
スマホ1台ひとり持てる今、四六時中著名人の一挙手一投足を知ることができるツールとなっているのだ。
人間には欲求がある、それ故自分が興味を持つ人のことは何でも知りたがり、インスタグラム等でプライベートな画像を見ているうちに自分のことのように勘違いするほど親近感を与えているのである。
情報を発信する側の著名人等は、ビジネスチャンスと捉えファンサービスと称しているのだが、いざストーカー的なファンが出れば一方的なファンサービスで自らに非を認めることはない。
過去には医師や俳優の家族が誘拐された事件が報道された、もちろん身代金目当ての犯行である。少し前にも有名スポーツ選手がファンサービスで、握手やサイン等で腕を痛めた事件が起こったのも記憶に残る。
一般の人には、スマホ1台で著名人と近くなったはずなのであるが、著名人には一定の距離が常に保たれているのである。
著名人が起こす犯罪は、やはり高額な脱税が群を抜いているのだ。記憶に残るのは投資ファンドのオーナーや企業家、今も多国籍を持つ外国人が日本の企業から莫大な資金を私物化して家族ぐるみでマネーロンダリングを巧みに人脈を利用して公然に実行している。

今まで一般の人であった人物が、突如として著名人に登り詰める人がいる。スポーツ選手が多いが、アイドル歌手、時には事業に成功した実業家もいる。

つまり著名人への第一歩は、その人が持つ才能よりも将来的な収入がある事への関心が決めているようだ。
今のテレビ局は、著名人をどれだけ出演させて一般の人たちの関心を得て視聴率が獲得できるかが重要事項であり、大企業からのスポンサー料すなわちテレビコマーシャルを獲得できるかが最重要課題なのである。
著名人たちは、高額なギャラをテレビ局から得ているが、その資本財源は大企業のスポンサー料なのである。
大手広告会社に友人が働いていますが、友人からの話では1社50〜100億は普通だとか。テレビ番組の中で大企業のコーマーシャルが、長く続くこともあります。スポンサーのコーマーシャルに出演している著名人が、その番組にも出演していることも多くあります。

テレビ局は一般の人たちが関心を持つ著名人をテレビ番組に出演させて、スポンサーからコマーシャルで得た莫大な資金源を使い、高額のギャラを払ってファンが驚く企画で庶民には現実離れした体験をさせて視聴率を必死になり獲得するデキレースが繰り返えされているのだ。
もしあなたが憧れる著名人が、豊富な資金を使いテレビ番組の企画で生涯体験できない贅沢三昧な体験を見ればどう感じるのだろうか。自分と重ね合わせて、共同体験を想像させるのであろう。一般の人たちはスマホで著名人たちへの距離は無く、むしろ自分の心の中で共に生きているのではないだろうか。
スマホを見れば著名人の情報は、膨大な情報が無限に更新され続けているのだ。

私には彼等への興味は皆無だ、見聞きする必要など無い。誰が幾ら稼ぎどんな暮らしをしようと、価値すらないのだ。無駄な情報に人々は振り回されて生きている。

彼等の一挙手一投足に何故自分が一喜一憂する必要があるのか、自分の人生にそんな無駄な時間を生きるほど暇ではない。

ームケシュ アンバニ夫妻(インド1位大実業家大富豪ー