このブログで何度も取り上げた「慰安婦問題」に大きな進展がありました。
「挺対協」の後進「正義連」、元慰安婦に非難される
2020年5月7日、元慰安婦の「李容洙」さんが記者会見を開きました。
そこで支援団体の前代表で、今春国会議員になった「尹美香」氏を非難しました。寄付金が被害当事者のために使われていないと訴えたのです。
韓国人の不思議なところは、慰安婦のおばあさんを、まるで朝鮮歴史の最重要ヒロインのように扱い、その言動に国民が感情的に流れるということです。
その例にもれず、マスコミからネットから大騒動になり、韓国内で尹氏に都合の悪い事実がどん゛どん報道されてきています。
・尹氏の給料は高くないのに娘が海外に留学している。(朴槿恵元大統領の友達の占い師も同じことで叩かれ失脚している。韓国ではステータスであり妬みのネタらしい。)
・元慰安婦のための「憩いの家」が、異常な高額で購入されて尹氏の父親に託され、毎年委託料が払われていた。
・「憩いの家」が元慰安婦の為に使われず、若者が連日焼肉をしていた。
・「憩いの家」で食べられていたお菓子の中に日本のお菓子も入っていた。
・一晩で飲み会に300万円近くつかわれていたこともあった。
・会計に記載するべき金額以上の寄付が記載されていない。
・元慰安婦が「日本の震災に寄付」したお金も寄付されずに会計に記載もされていない。
などなど。
その尹氏自身は
「怖くはありません。女性人権家といういばらの道に入った者の宿命として、堂々と対抗します」として、「女性が活躍するとこういう目に合う」とばかりに被害者然としていたり「親日家の攻撃」にすり替えたりしていますが、今までならそれで立場逆転していたかもしれませんが、今回ばかりは「絶対的信奉の対象」である元慰安婦が敵に回っては勝てそうにありません。
しかし、これだけ韓国内の支持を集める「元慰安婦」ですが、本当に大切にされていたかと言えばそうではありません。
2004年シムミジャ祖母をはじめとする日本軍慰安婦被害者とする12人が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)とナヌムの家が日本軍慰安婦としておばあさん6人に大金をかけて、中国から輸入して利用した」と主張した事実が明らかになった。
芯おばあさんなどおばあさん12人が2004年、ソウル西部地裁に挺対協・ナヌムの家相手に出した「募金活動やデモ動員禁止仮処分」申込書によると、「被申請人挺対協が主導する水曜集会に参加する被害おばあさんは10人内外に過ぎない。中国から輸入してきた正体不明のおばあさんを動員して水曜集会を維持している」と書かれている。
と、16年も前に「慰安婦の日本非難活動自体がインチキ」というとんでもない声明を出していたにも関わらず、その声は握りつぶされていたのです。
それどころか、ちょっと検索するだけでとんでもない実態が見えてきます。
慰安婦問題の解決のために日本が官民一体で1995年に設立し、2007年に解散した「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)の元理事、下村満子さんによると“挺対協”とは、「韓国挺身隊問題対策協議会」の略称だ。慰安婦問題の解決を日本に迫る韓国の市民団体の一つで、女性人権団体を母体に結成された。
挺対協に逆らって金を受け取ったおばあさんたちは、強烈ないじめにあっていた。脅迫電話が絶えず、日本の支援者が1万円ずつ出しあって、電話機を録音機能のあるものに替えた。
「挺対協のメンバーと来日した慰安婦のおばあさんが、『宿泊所に閉じ込められ、外に出るなと言われて嫌になる』と電話をかけてきたこともあります。おばあさんたちは、内心で挺対協を恨んでいましたが、挺対協が怖いから、公の場に出てこいと言われれば出て行き、デモをしろと言われればデモをした。気の毒な弱者でした」
iRONNA https://ironna.jp/article/687 より
元慰安婦を追い込んだのは挺対協よりマスコミ?
なぜこのようなことがまかり通っていたのでしょうか。
かつて韓国外交の中枢を担っていた著名な政府元高官、千英宇氏は下のように証言しています。
FNN PRIME https://www.fnn.jp/articles/-/44095 より
「私は慰安婦被害者のおばあさんに会って、その方が望む解決策がどういうものなのか意見を聞いてみた。その方の意見は、一言で言えば早く日本と合意してこの問題を解決してほしいということだった。生きておられる間に日本の謝罪と補償を全て受け取れるならば最善だが、それが出来なければ補償だけでも受けたい、そのような印象を受けた」
千氏はこの日本の提案について、正義連の前身である挺身隊問題対策協議会(略称:挺対協)の代表だった尹前理事長に説明し、意見を聞いたという。
「挺対協が純粋な気持ちで元慰安婦の利益を代弁していると思っていたが、尹前理事長の表情を見て『ああ、挺対協と元慰安婦の利害関係が違うこともあるのだ』と私は悟った。この解決法は元慰安婦にとって悪いことではないが、挺対協としては、仕事が無くなるのだから組織を閉める準備しろという死刑宣告と同じなのだ。尹前理事長が喜ぶと私は勘違いしていた。」
つまり、挺対協は自分の組織を存続させるために慰安婦を利用し日本を非難攻撃し続けた、ということになります。
その後身である正義連が、私腹を肥やし続けていた疑惑が出ているのだから大騒動になって当然です。
しかし、なぜ昔からこのようなことが言われているにもかかわらず、いままでこのような不正が続けられていたのでしょうか。
先述の千氏はこう語ります。
「これは知っている人は皆知っている、おかしな「秘密」だが、メディアや政府当局者は皆知っていても、報道したり言及すること自体がタブー視された聖域だった」
これは大問題です。
なぜなら、メディア、マスコミは、それらの事実を「報道できなかった」というだけでなく「挺対協の主張が嘘だと知りながら、その主張を報道し続けたから」です。
韓国の国民は、挺対協だけがそのように騒いでもそこまで乗せられなかったのではないでしょうか。なぜなら今回も元慰安婦が正義連を非難すれば、国民も火が付いたように正義連を非難しているわけで、つまりは報道が何をどう報道するかによって国民は左右され、そして元慰安婦の立場も変わってくるわけです。
言い換えれば、元慰安婦をそのように追い込んだのは、挺対協を利用したメディアそのものである、のかもしれません。
韓国メディアが挺対協を利用したのは反日活動だったから
ではなぜメディアがそのように挺対協の真実をタブー視して報道しなかった、もしくは元慰安婦より挺対協の言い分を垂れ流し続けたのでしょうか。
挺対協の元共同代表、尹貞玉氏は女性活動家として、韓国の売春反対運動をしていたといいます。当時の朴正煕(朴槿恵元大統領の父親)政権下では、当時世界の最貧国だった韓国の、ドルを稼ぐための重要な産業でした。
よって売春反対運動は、女性人権活動というだけでなく、朴正煕政権打倒活動でもあり、同時に日本軍人でもあり、高木正男という日本名まで持った親日家としての朴正煕大統領を攻撃するための反日運動でもあったようです。
反日と韓国ナショナリズムは一体化している。それは、「いつかまた、日本が侵略してくる」という恐怖心が韓国人の深層心理のなかに潜んでいるからだろう。解放直後に、「米国の奴らを信じず、ソ連の奴らにだまされるな。日本の奴らが立ち上がるから、朝鮮人は気をつけろ」という言葉が流行ったことは、元東亜日報記者の李鍾珏さんが、「韓国いまどき世相史」(亜紀書房)で書いている通りだ。
韓国の反日活動の裏に日本人?
重要なのは、その尹代表の活動の陰に、「日本人?」がいることです。
「日本基督教婦人矯風会」の高橋喜久江さんは、尹貞玉元共同代表とは80年代、韓国のキーセン観光などアジアの売買春反対運動で知り合ったと話している。このつながりのなかで、尹貞玉元共同代表は、韓国民主化以後に慰安婦問題で日韓共闘を始めたが、資料などは日本側にほぼ頼っていたと言われる。
つまり、元々韓国内の売春反対を通じて、朴正煕政権を打倒を目指していた女性活動家が、のちに慰安婦問題の活動を移し、反日運動の旗印となったが、その資料等を提供し裏で操っていたのは日本人である可能性がある、ということなのです。
ちょうどそれを裏付けるかのような記事がありました。
それは朝日新聞グループの雑誌「AERA」の「AERA dot.」より
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200519-00000021-sasahi-kr
胸を痛めながら数週間、このニュースを追いかけている。
もちろん男尊女卑の韓国で、「慰安婦」問題は最初から受け入れられたわけではない。1990年代には、「民族の恥!」と女性を非難する声は少なくなかった。そういう社会で女性側からみた世界を語り続け、世論を変えてきた。戦地のロマンとして語られてきた「慰安婦」は、こっちからみたら性暴力だったのだと歴史を変え、長年裁かれてこなかった戦時性暴力は、過去にさかのぼって問うべき人権侵害だと、世界の「常識」を変えた。2018年にIS被害者のナディアさんとムクウェゲ医師(※)がノーベル平和賞を受賞したが、「慰安婦」女性たちはIS被害者と連帯し、ムクウェゲ氏も「慰安婦」女性たちと交流していた。紛争下の性暴力問題でノーベル平和賞が出たのは、「慰安婦」女性たちの戦いがあったからに他ならない。
尹美香氏らと共に「人権活動家」として戦い続けた李容洙さんがなぜ、記者会見を開いたのかは分からないが、性暴力被害者と支援者の関係は、時に緊張が走るものだとも思う。加害者への怒り、社会への絶望が、最も身近な人間関係を壊す力になることは珍しくない。実際、「慰安婦」女性たちがお金の使い道に対し支援団体を訴えた過去もある。壮絶な性暴力被害を受け、その後の沈黙と孤立が長いほど、不信と不安の根は深い。
女性運動は大胆だ。その大胆さ故に、たたかれる時の圧力は凄まじい。それでも、日韓の国境を越えて、この誹謗中傷の嵐を共に乗り越えたい。韓国のフェミニストのこと、「慰安婦」女性たちのこと、日本の凄腕運動家のことも、この連載では時々書いていこうと思う。まさに連載タイトル「おんなの話はありがたい」……だ。
そうそう、李容洙さんが記者会見でもう一人、強く批判していたことも記しておきたい。「アベシンゾウの顔もみたくない」と李容洙さんは言ったのだ。改めて考えたい。最も責任を問われ、カメラを向けられるべき人は誰なのか。
上の記述で、挺対協や正義連から元慰安婦が受けてきた仕打ちを見た後には、この女性の言っていることのうすっぺらさが如実に浮かんできます。
元慰安婦たちを反日の道具として仕立て上げ、デモに参加させ、それが少なければ「中国から正体不明の女性を高い金で輸入」。
「お金をもらって解決したい」という意思など尊重することもなく、受け取れば「売春婦」とののしり毎日のようにいやがらせをする。
それだけ利用しながら、元慰安婦は貧しいままの生活を強いられながら、自分たちは寄付金などを着服して豪奢な生活をし、父親は施設の管理人、娘は外国へ留学などさせていたというのが本当だとすれば、今まで我慢してきた方がおかしいと言えます。
それを「加害者への怒り、社会の絶望が・・・」などと、自分たちのしたことを棚に上げてまるで他の要因があるかのようにすり替えるあたり、この女性の本質が見えてくるようです。
このように、過去反日運動家でもあった女性人権活動家に、「慰安婦問題」というネタを与え、韓国内で反日感情に火をつけ、国際的人権問題にすり替え、日本を冒涜し、韓国に賠償し続けるシナリオを描いたのが、日本の中にいる何者かではないか、という気さえしてきます。
そもそもの慰安婦問題は朝日新聞の吉田証言から?
慰安婦問題が「性暴力だった」と言いますが・・・
・朝鮮人慰安婦の募集は朝鮮人業者に委託されていた。
・日本人兵士の30倍もの高給で募集されていた。
・朝鮮人募集業者の悪質な募集を日本警官が取り締まっていたのは当時の新聞の記事にも載っている。
・貧しい家庭では、家族に売られた慰安婦もいた。
・悪質な業者と韓国人警官の癒着は米軍従軍慰安婦により証言されている。
・悪質な業者と日本人警官の犯罪で取り締まられた記事などは一つもない。
・慰安婦における拉致など悪質な犯罪について、あれだけ日本に批判的であった東京裁判でも一件裁かれていない。
・米軍慰安婦では「第五補給品」としてドラム缶に入れてジープで運ばれていた記録があるが、時代的にも元慰安婦の記憶がそれと日本軍のものと混同していることは検証されていない。
・拉致や性奴隷などの事実は元慰安婦の証言以外客観的な証拠は全くない。
これらは当ブログでもずっと取り上げてきました。
このように、慰安婦問題の核心である日本人による「強制連行」「性奴隷」というもの自体、改めてどこまで元慰安婦の真実であったのか疑問がわきます。
1983年以降朝日新聞において16回にわたり植村隆元記者が書いた吉田清治の証言がベースとなっているのではないかとも思われます。
その疑問点に改めて触れてみます。
・現在の所、日本の官憲が本人の意思に反して女性を慰安婦にすべく連れ去ったという公になされた加害証言は、白馬事件の舞台となったインドネシアなどでは存在するが、朝鮮では吉田証言のみとなっている。(白馬事件は東京裁判で判決済み)
・1982年(昭和57年)以降、吉田は戦時中に済州島などでアフリカの奴隷狩りのように若い朝鮮人女性を軍令で捕獲・拉致し、強制連行したと著書や新聞や講演などで語り、日本、韓国、アメリカなどで、何度もそのことを証言して来た。自著では当時の命令書の内容まで詳細に記載している。
これについて済州島の「済州新聞」が追跡調査し、当時そうした「慰安婦狩り」を住民が聞いた事がないという証言を得て、吉田証言は事実ではないと報道。その後、秦郁彦らも追跡調査を行い、同様の結論に至った。
・1977年、『朝鮮人慰安婦と日本人』を出版。そこでは、慰安婦狩り(強制連行)の話は出てこず、朝鮮人地区の女性が慰安婦を中継ぎする話になっている。
慰安婦狩りの話が出てくるのは1982年の講演であり、1982年9月2日朝日新聞大阪版では、吉田が慰安婦狩りの内容を講演した旨が採り上げられている。
翌1983年、二作目となる『私の戦争犯罪』を出版。そこでは、1943年5月15日付の西部軍動員命令によって5月17日に下関港を出発し、翌日済州島に着いて、兵士10人の応援で205人の婦女子を慰安婦要員として強制連行したとし、その要点(吉田メモ≒動員命令書)は妻の日記に記載されているとした。肝心の吉田メモが記されているはずの妻の日記は、そもそも実在しないことが、後に明らかとなった。
・吉田の長男によると、1977年の吉田の著書『朝鮮人慰安婦と日本人』執筆の際、著書出版により「これで家計が楽になる」と語ったのを記憶している、(2014年8月28日読売新聞)
・「(1943年当時)父は済州島には行っていません。それは父から聞いています。それで父は、済州島の地図を見ながら、原稿用紙へ(慰安婦狩りの)原稿を書いていました」
・当時、吉田は、韓国のある組織(「KCIA」と推測される)から借金をしていた。吉田の長男の証言によると、「石碑を建てたり、韓国に行ったりするお金は、うちにはありませんでした。あれはいろいろな人からの支援だと思います」「韓国から戻ってきた後、父のパスポートを見てびっくりした記憶があります。日本からの出国と帰国のスタンプはあるのですが、韓国への入国、出国のスタンプが押されていない。なぜかと聞いたら、韓国の空港につくやいなや韓国政府の人がやってきて特別室に案内され、そのままソウルの街に出たんだそうです」。
・ 1983年(昭和58年)以降、吉田証言を16回にわたって記事にしてきた朝日新聞は、2014年8月5日に吉田証言を虚偽と判断して、すべての記事を取り消した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%B8%85%E6%B2%BB_(%E6%96%87%E7%AD%86%E5%AE%B6) 吉田清治 ウィキペディア ※ウィキ自体の信ぴょう性はありますが、各証拠はそこに提示あるものを参照
吉田清治が金を借りていた(らしい)というKCIAとは、1961年、朴正煕によるクーデター成功の一ヵ月後に、大韓民国国軍の諜報機関であるCICのメンバーを中心に設立された。主要な任務は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)工作員の摘発であったが、軍政時代は反政府運動の取締りにも辣腕を発揮した。本部の所在地名から、通称「南山」と呼ばれ、韓国国民から恐れられた。 とあります。
本来北朝鮮に対する諜報機関が吉田清治になぜ金を貸したのかは不明ですが、吉田清治が後に本人も認めるでっちあげな犯罪告白を語ったのに、韓国のどこからかの力が働いていたのは上の資料を見る限り間違いなさそうです。
長男の証言が正しいのであれば、韓国の入出国をコントロールできるほどの力のある国家的組織が関与していたということになります。
それらをつなげてみると・・・
KCIAなどの諜報機関が、実際に起こったインドネシアでの日本軍人の慰安婦拉致事件から、朝鮮人業者の行っていた「本人の意思に反した従事」を日本軍が関与したようにすり替え、その自白を金に困った日本人にさせた。
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その直後に挺対協のメンバーの娘婿である新聞記者植村隆氏にとりあげさせ、日本最大手の朝日新聞社を利用し16回も連載し日本国内で広める。
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それを元にそれまで慰安婦と言えば米軍慰安婦のことを指していた韓国内で大問題化させ、日本に対する敵対意識を高める。(それまで韓国の新聞に日本軍従軍慰安婦の記事はゼロ)
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日本の女性人権家などから韓国人女性人権家にその資料と共に活動方法を伝え、朝鮮人慰安婦や中国からのニセモノ慰安婦まで支度し利用し、毎週日本に対するデモを行い憎悪を拡大し植え付ける。
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日本人?弁護士などが国連で訴え、クラワスワミ報告などを出させ、人権問題に仕立て上げ、条約や時効を超えて賠償責任を作り上げる。
ということだったのかもしれません。
さらに吉田証言がでっちあげだった、と認めてから5年もたった後にまで、上の北原みのり氏をとりあげた朝日新聞系のアエラが戦地のロマンとして語られてきた「慰安婦」は、こっちからみたら性暴力だったのだと歴史を変え、長年裁かれてこなかった戦時性暴力は、過去にさかのぼって問うべき人権侵害だと、世界の「常識」を変えた。と自画自賛。
今回その真実が「元慰安婦ら」本人から語られ、再び「常識」が覆り、「真の常識」に日があたるのかもしれません。
そのとき、最も責任を問われ、カメラを向けられるべき人は誰なのか? を楽しみにしたいと思います。
