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小中学生のためのネトウヨ話

今日本で何が起こっているのか?を小中学生にもわかるように解説するブログです。

ネトウヨとは「ネット右翼(うよく)」の略です。
逆の「左翼(さよく)」とネットの中から戦っています。

女性人権運動家のイ・ヨンスさんが、長い間自分が耐えてきた苦痛をあらわにして市民社会と政府に投げかけたメッセージは、全ての人々の心を重くさせた。イさんの訴えをきっかけにハンギョレは、私たちが何を省察し、残された問題をどのように解決すれば被害者の苦痛と傷が本当に癒されるのかを模索するリレー寄稿を掲載する。

https://news.yahoo.co.jp/articles/be824c554119576127e394c7fa87bfc5786395c8

 

ハンギョレ新聞という韓国の「朝日新聞」のような左紙が、正義連の不正を告発した元慰安婦「イ・ヨンス」さんの告白に対し反応を示しました。

 

その第一弾として

日本軍「慰安婦」被害者の証言の調査研究を進め、現在日本軍「慰安婦」研究会の会長を務めているヤン・ヒョナ・ソウル大学法学専門大学院教授が最初の文を寄せた。

 

この「証言」こそ、慰安婦問題の最大の焦点の一つだと思っています。

なぜなら、客観的証拠が一つもない中で、この「慰安婦の証言」のみで日本が犯罪を犯したかのように一方的に糾弾されているからです。

 

挺対協、そしてその後身である正義連が、「元慰安婦を利用して私利私欲を肥やした」と今回告発されたことをうけ、この「証言」が挺対協によって「でっちあげられた」のではないか、あらためて検証するべきなのです。

 

それにはまず、その証言を「聞き取り」したヤン教授の話を抜粋しながら、それを紐解いていきたいと思います。

 

5月7日に続き、5月25日、「慰安婦」被害生存者であり人権運動家であるイ・ヨンスさんの記者会見があった。最初の記者会見で「もう水曜デモはいらない。ユン・ミヒャンは国会に行ってはならない」などの激しい言葉が飛び出した。25日の記者会見では「30年の挺対協の運動が被害者たちを利用した。私たちの証言を聞いたこともない」など、いろいろな言葉を述べられた。慰安婦証言と被害者に関心を持った研究者として、このような言葉に接し、なんと言えばよいか分からなかった。一歩間違った解釈をすれば、イさんの証言を無視したり曲解したとされるだろうし・・・

 

筆者にとって注目される部分は、正義連が「ハルモニ(おばあさん)たちを売った」「ハルモニたちを利用した」「自分たちの意向に合うハルモニたちだけで活動した」という、運動方式に対するイ・ヨンスさんの発言の部分だ。

 

確かにイさんのこれらの言葉だけ聞けば、「挺対協は、彼女らの話も聞かずに、挺対協に都合のいい証言を捏造した」と取れるもので、その危機感はこの教授にもあるらしい。

ではこの後にその証言の正当性をしっかり説明してくれるのでしょうか。

 

 筆者は1998年から2001年まで「2000年日本軍性奴隷戦犯女性国際法廷」の準備の一環として被害者たちに会い、証言調査研究を行なった。この証言研究を行なった「証言チーム」は、聞く(尋ねる)ことから「聴くこと」へ、証言者が記憶する方法と比重による証言の再現、すなわち被害者の「記憶の地図」の再現ため息や笑いのような表情と表現投射と倒置のような口語的テキストの作成法など、方法論的原理を立てていった。私たちは何度も被害者に会い、各人の揺ぎない真実を発見することができた

 

私は専門家ではないので、方法論についてはわかりませんが、文字通り読めば「証言以外の調査法を用いた」のは事実であり、それが果たして適正で、彼のいう「揺るぎない真実を発見」したという自画自賛が正当なのか、検証もされないままに鵜呑みにしてはいけない、ということです。

 

この過程で様々な悩みがあったが、その一つに、研究者たちの知っている「慰安婦」像にふさわしい証言だけを「慰安婦」の証言としなければならないのかという問題があった。私たちの知っている「民族の被害者」、あるいは性暴力被害者としての彼女たちと、実際私たちが会った彼女たちが打ち明けた話の構造と焦点はかなり違っていた

 

上の文章に『「民族の被害者」、あるいは性暴力被害者』「私たちが知っている」とありますが、その「私たち」とは誰なのか? それはまさにこの問題の本質で、「韓国の国民」を勝手に担ぎ、その「代表」を語る挺対協であり、決してそれは慰安婦本人ではないという事実です。

 

しかも「知っている」という根拠は、先にも言ったように「客観的証拠はない」、「元慰安婦の証言のみ」というのですから、決して「知っている」というのは傲慢な思い込みで、それを「事実」にするために「慰安婦の証言を取った」のですから、それが違っていたというなら、「自分たちの思い描いた嘘を事実にするためのでっちあげ」ということになります。

 

自分の母に対する思い出、貧困と空腹、帰国後の朝鮮戦争や暮らしを生き抜いた話などで口を開いていき、「慰安所」での体験はこれらの話と糸のように絡み合って影響を与えていた。私たちは研究者の質問を中心とするのではなく、証言者の記憶を中心にしつつ、当時の社会的脈絡と構造を見逃さない質問と聴取を通じて「証言者中心主義」の証言方法論を作り上げていった。

 

韓国にありがちな「あいまいな表現で確信を誤魔化す」表現のように見えます。結局、元慰安婦たちは慰安所で行われた非道について表現したわけではなかったものを、さも「性被害者」の部分だけ抽出しては日本を責めるネタを無理矢理津紡ぎだしたのではないかと懸念します。

 

被害者たちはみな同じ被害者ではありえず、個性を持った魂になっていた。ハルモニたちの間にも多くの違いがあった。一人ひとりの違いと微視的な個人史に注目するからといって、「慰安婦」の被害とは何かという大きな絵を描けないわけではなかった一人ひとりの被害の中で家父長制植民主義の大きな構造的問題が消えるわけでもなかった。むしろ子どもと病気、孤独と願望のディテールに植民主義と男性中心の社会構造は体液のように染み込んでおり、粉塵のように積み重なっていた。証言チームはこの証言の方法論を被害者中心主義だと理解した。

 

つまり、「植民主義+男性中心の社会構造」こそが元慰安婦の問題、つまり「当時の朝鮮半島の貧困や家庭構造」にこそ元慰安婦たちの問題があったと読めます。

 

それを「慰安婦」の被害という大きな絵を描けないわけではなかったという程度の話を、さも彼女ら全体を「性被害者」だと「無理矢理仕立て上げた」と告白しているようなものです。

 

②へ続きます