最近、自分は人生に正解を求めすぎていたのだと思う。
他人を幸せにしたいとか、自分が熱くなれるものを見つけたいとか、そういう綺麗な言葉を並べながら、結局は「これが自分の生きる意味だ」と言い切れる何かを欲しがっていた。
それさえ見つかれば、迷わずに済むと思っていた。一直線に走れると思っていた。
現在、無職。
たぶん自分は、安心したかったのだ。
キャリアを積んで、市場価値を上げて、どんな時代でも仕事に困らない人間になるっていう正解があれば不安ならなくて済むから。
17歳の7月、死のうと思った。
どうせ今日死ぬはずだったのだから、この先の人生は好きに生きようと思った。
そして27歳になっても人生がつまらなかったら死のうと、自分と約束した。
あの日たしかに、自分の人生は自分のものになったはずだった。
なのに気がつけば、また周りの価値観に飲まれている。
まともであること、堅実であること、説明のつく選択をすること。
そういうものに少しずつ首を絞められている。
俺の選択は、友達に自慢するためのものではない。
親を安心させるためのものでもない。
ましてや、まだ存在もしない自分の子どもを塾に行かせるためのものでもない。
楽しくなくてもいい。
好きなことでなくてもいい。
やりたいことでなくてもいい。
将来性がなくてもいい。
うまく説明できなくてもいい。
なんでもいいわけではなく、むしろこれじゃなきゃダメってことがある
説明できる人生だけが正しいわけじゃない。
自分の選択は、ちゃんと自分で引き受ける。
将来、「ほら、俺が正しかっただろ」と見返すために生きているわけではない。
今は若いから生活できているだけで、歳をとれば後悔する。そう言われたら、言い返せない。
お金もない。スキルもない。社会的信用もない。
不安はある。
それでも、体感としては今、すごく充実している。
自分は、安心とか見栄のためによく要らないものまで手に入れようとしてしまう。
自分の人生を生きている感覚がある。
誰かの正解ではなく、自分の体温で生きている感じがある。
また明日起きるのが楽しみ。