高田龍の《夢の途中》 -75ページ目

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

    

     序の参 

 横浜の叔父の会社を何時頃に出たのかは憶えていない。
桜木町駅から東横線で、来た道を辿りながら帰る私の頭の中はやはりお花畑だった。
叔父が語ってくれた祖父のエピソードを思い出しながら車窓を流れて行く夕暮れの景色を眺めていた。

アジアで火がついた戦争の火種は、次第に世界へ拡がろうとしていた頃。

祖父の家の電話が鳴った。
相手は漁業関係の人物で電話の用件が少し変わった内容だった。
《もしもし、親分ですか》
ちょっと説明をしたいと思いますが、私が直接聴いた話ではないので、電話の主が《親分ですか》なんて言ったかどうかは判りません
が、三浦漁港に鯨があがったと言う話だったそうです
かと言って、漁港まで鯨が泳いで来たのではないと思います。
漁船の網にかかったのか何かだとは思いますが、とにかく鯨を捕まえてあるのでどうしましょうと言う電話だったようです。

鯨をどうしましょう、私に言わせれば聞く方も聞く方だと思うのですが、祖父と漁業関係者の間に以前から
何か示し合わせていたことがあったのでしょうか。
祖父は電話の相手に即答します。
『わかったそいつを横浜まで持って来てくれないか』
電話を切ると近くの若い衆に祖父は声をかけました。
『横浜の子供達は鯨を見たこと有るのかなぁ』
若い衆は応えます。
『クジラなんて中々見れませんよ、誰もいないんじゃないですか』
『そうか、じゃあ鯨が見れれば喜ぶだろうなぁ』
祖父の腹は決まったようです。
鯨は漁船に曳かれて横浜港へ向かって来ます。
やがて鯨は港内にその姿を見せ、それに気づく人も増えて来ます。

祖父も心配だったのでしょう。
港まで来ていました。
そしてそこから、野毛山公園に造った鯨のための陳列会場を目指します。
横浜港には何本かの河が流れ込んでいますが、その内の一本に舳先を向けて漁船は進みます。
この河の先に野毛山公園があるからなんです。
漁船が進む河には途中に幾つも橋がかかっていますが
今の河川に架かっている橋とは違い、どの橋も小さかった。
その上やたらと橋の数は多いんです。
祖父が心配していたことが起きてしまいます。
鯨の体が橋桁に引っかかってしまったのです。
腕組みしながら思案顔の祖父、若い衆が声を掛けます
『こいつぁ困りましたね、親分どうしましょう』
若い衆の言葉には応えずに綱島一家の三代目は、大物の魚を捌く大きな包丁を持つと河の中へ飛び込みます
このエピソードを話してくれた叔父は鯨の種類は言ってませんでしたから、私も勝手に小さい種類を想像していましたが、そうとう大きな鯨だったようです。

祖父は慣れた手つきで鯨の胴体を真っ二つにしたのです。
話が前後しますが、祖父はまだ十五、六の頃に魚河岸で働いていたことがあったんです。
それはこの物語の進んで行く中でご紹介しますから楽しみにしていて下さい。

そんな訳で、橋桁から外れた鯨は一路、野毛山を目指します。
さぁ野毛山公園にどんなことが待っているんでしょう