序の弐
それでも何か予定の有る人達が坂を降って行くが普段の日と比べるとその数はかなり少なかった。
学校に通う時と同じように渋谷駅まで行き、そこからはいつもとは違う行き方になる。
私は東横線に乗り横浜を目指した。
車窓を流れる景色を眺めているとこれから自分のことを何が待ち構えているのかそんなことはどうでもよくなってくる。
景色にも飽きて来た頃、私は横浜駅に着いた。
横浜の街は東京とは違っている。
自分自身の感想としてではあるが、横浜にはアメリカが棲みついて居る。
基地が有るからだろうか。
叔父の処へ行く時は決まって父の運転するクルマに乗って横浜に向かっていた。
電車に乗るのも初めてなら
独りで横浜に来るのも初めてである。
叔父は不動産業を営んでいた。
事務所は小港町1丁目。
この町は戦前の雰囲気と、アメリカが同居している町だった。
不動産会社の玄関のドアを開けると私の大好きな叔父の笑顔が待っていた。
『よく来たな』それが叔父の最初の言葉だった。
その後、学校で在った出来事を聞かれ、私は事実とは違うことを説明した。
叔父は口元に笑顔を絶やさず私の話を聞いていた。
私の話が一区切りしたところで、叔父が話し始めた。
『お前のお祖父さん、俺やお前の親父の父親だ、この人は髙田福松という名前で
俺やお前の親父が超えたくても超えられない人だったんだよ。
横浜に綱島一家という任侠団体が有って、その三代目の総長だったのが、お前のお祖父さんだった。
ここからが大事な話だからよく聴くんだぞ、世の中には《蛙の子は蛙》なんて諺があるけど、お前が今後も不良気取りで悪さを続けていると、いつか必ず新聞や週刊誌が嗅ぎつけるだろう
。
そんな事に成ってみろ、奴らは《蛙の子は蛙》と囃し立てるに決まってる。
ヤクザ稼業と言ってもお前の祖父さんは数多くこの横浜の街に貢献した人でもある。
俺やお前の親父は誰一人ヤクザにはならなかった。
それは祖父さんが ヤクザは俺だけで充分だ、絶対にこの道に入ってはならんと厳しく言っていたからなんだ。
お前が、祖父さんを超えるような人間になれる確信が有るならともかく、祖父さんを超えるなんて出来る訳ないんだから、祖父さんの名前を汚すようなことをするんじゃない!わかるな』
叔父の話が半分を過ぎた頃から私の頭の中はお花畑のようだった。
不良にだけにはしたくないという叔父と父の強い思いはまったく無駄だった。
そうかぁこの身体には大変な血が流れていたんだ。
そのあとは何を言われてもお花畑の花の数が増えるばかりだった。
たぶん、叔父が祖父の偉大な功績を解らせるつもりで語ってくれた幾つかのエピソードは、どれひとつ私を諌める役には立たなかった
。
私の本籍地の話を叔父がしてくれたのだが、これなどはお花畑に電飾が点いたようなものだった。
現在もそうであるが、私の本籍地の住所は横浜市役所の所在地と同じである。
その理由は市役所庁舎が手狭になり、拡張しなくてはならなく成ったが、戦前のこと横浜市も財政が芳しくなく土地を購入することが難しく困っている時、祖父が自分の所有地の一部を、
横浜市に寄贈したために私の令和六年の本籍地は横浜市と同じなのだ。
まだまだ叔父の話は続いたが、私の頭の中のお花畑に電飾点滅は変わらなかった
。
ただ、叔父と父が祖父のことを心から尊敬していることには驚かされたと言うより自分が父と叔父への尊敬の念を深めたのだった。