高田龍の《夢の途中》 -7ページ目

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

 なんということか、前回は書いている最中にウッカリ投稿してしまい中途半端なものを皆さんに見せる事になってしまいました。

最近、同じ様なミスを繰り返している、やはり高齢のせいなのだろうか?

私も既に、齢七十と三歳。

平均寿命が伸びたとはいえいつあの世の門が開いてもおかしくはない年齢になってはいるのだ。

あとは、しっかりと自らの人生の了りを記すことが出来れば、という事になる。

さて話を戻すと言うか、前回の投稿で書く筈だったところへ戻って話を進めよう
力道山が日本にプロレスを根付かせ、我が国のプロレスは芽吹いたと言える。
当時のことに詳しい人の中には、異論を持つ方も居るかもしれないが、一般的には力道山から始まったと思う人が大半だと思う。

そのプロレスに私の人生が深くかゝわる事になるなどとは、まったく思ってもいなかったのです。
私が、プロレスにかゝわる事になるのは、もっとずっと後のことなのです。