俠客への道
自分の考えの甘さに気がついた髙田福松は、この先をどのようにして生きて行けばよいのかが、まったく判らなくなってしまった。
綱島一家の代紋が染められた半纏(はんてん)が着たいために、ヤクザになったわけでも、下足番になりたくてこの世界に身を置いたわけでもない。
福松が歩こうとしていた道は、濃い霧に覆われてしまったように前が、まったく見えなくなってしまった。
悶々とした日々を過ごしている福松のことを、その周囲は誰も気がつくこともなく、髙田福松の毎日は静かに進んでいった。
彼は自分の進む道に焦燥感を持ち続けてはいたが、自らが進むと決めた俠客への道であるから、簡単に諦めることはなかった。
自身としては暗中模索ではあったが、福松の人生は確実に一歩一歩、目指す方向へと進んではいた。
そして時は流れた。
福松が二六歳の時、その二年ほど前から体調を崩していた綱島一家二代目総長の土屋徳太郎が亡くなった。
福松にしてみれば稼業上のまさに親である。
福松は、葬儀の取り仕切りを、最後の親孝行と思い、その先頭に立った。
しかし、大変なことは葬儀の後に待っていた。
福松以外の綱島一家の主だった面々には土屋徳太郎が亡くなったという悲しみよりも、三代目は誰かという事に関心が集中していたようである。
この頃、福松に生命を預けようと、福松から盃を受けたいわゆる、子分は二八人に成っていた。
福松に経済力が無かったために、彼は土屋徳太郎の家の二階に子分達と共に居候をしていたのである。
福松は、親を亡くした悲しみに慕っている自分と、他の兄貴分達の考えがあまりに違うことに驚いていた。
身寄りの無かった土屋徳太郎には葬儀の後に、お骨を引き取る人も居なかった。
迷う事もなく、福松は土屋徳太郎のお骨を手元に引き取った。
親分の墓は自分が必ず建てる、そう心に誓っていたのだ。
相変わらず、土屋徳太郎の跡目は誰が成るのかが巷の噂であった。
跡目争いは次第に苛烈化していき、ついに死人を出した。
元々、同じ代紋を背負い稼業上の兄、弟を名乗る者同士の殺し合いである。
福松には、それが信じられなかった。
福松は蚊帳の外だったが、跡目に名乗りを上げた連中は、もはや殺すか殺されるかが当たり前の様相を呈していた。
何が義理人情だ!
何が任侠だ!
福松はつくづく自分の進む道が間違いだったと気がついていた。
綱島一家の三代目は誰にするかとの争いは何名かの死者を出し、意外な処からの介入であっという間に沈静化したのであった。
人には、その人生に最初から刻み込まれたものが有るのかもしれない。
了。