高田龍の《夢の途中》 -101ページ目

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

皆さん今日は少し私の母のエピソードを書いてみます



私の母は96歳で亡くなりました。

ずいぶんと資産家の家の娘だったようです。

戦前から戦時中は大変に羽振りが良かったようです。

私はあんまり母の事を知りません、Blogに書くのも初めてのようなものです。

理由が特別ある訳では有りませんが、母には大変失礼になってしまいますが、私あんまり母が好きでは有りませんでした。

ですから、母の若い頃など興味がありませんでした。

じゃあなんで今回と言われますと、今までの母に対する謝罪の気持ちかも知れません。

姉がまだ生きていた頃、私はよく言われました。

まだ生きている私の兄にも言われました。

『お前はおふくろに好かれている』

『あんたは母さんにすごく可愛がられていたのよ』

その二人の言葉に反論はありません。

大事にされていたんだとは思いますが、ちょっと違うと私は今でも思っています

、もちろんそれには理由が有るんです。


いけない!今日は生前の母のこんな話をしたかった訳じゃないんだった。


でも私は知っているんです母は確かに私を大切にはしてくれましたがみんなが感じている事とは違うんです

母の生前に私は聞いているんです。

母は言いました。

『私の人生で本気になって愛したのはアンタのお父ちゃんや』

母はたま〜に関西弁が混じったりしたことがあります

それは母が宮崎で産まれ大阪で育ったからだと思います。 

母は本人が言う通り、私の父が大好きだったんです。

だから父との間に出来た私に強い情を持ったのではないでしょうか。

大人になってから知ったのですが、兄も姉も父親が私とは違います。

母は大好きだった私の父とは結婚することが許されなかったようです。

その理由は、父の家は当時

関東で一二を争う博徒だったからです。

わかりやすく言えばヤクザだったからです。

祖父は、その一家の三代目

でした。

母の家は医者の家系、お堅い家だったようですから許されるなんて無理な話でしょう。

父方を庇うつもりでは有りませんが、私の祖父は本人の職業はともかく、人格者だったようです。

息子達の教育にも熱心だったようです。

私の祖父の話は別の処で話たいと思います。


めちゃくちゃ面白いですよ。


父とのことを許されなかった母は、思い余って自殺をしようとします。

その後、親の薦める話かやけっぱちか複数の人と結婚します。

でも父のことが忘れられなかったようです。

戦後、母は苦労することになります。

だからという言葉を頭につけたくなりますが、きっとどうしても父のことを忘れられなかったからでしょうね。

キリが無いから話を戻します。

今度はホントに戻します。


私が高校生になった頃の事です。

真夏の終わりでした。

テレビのニュースで世界中で知らない人が居ないであろう《ビートルズ》を世界的な存在に推しあげた人で有名な《ブライアン・エプスタイン》氏が亡くなったというびっくりな話が流れました。

私の前に座って昼メシを忙しそうに食べていた母はテレビの画面に背を向けたままでそのことに興味があるようには見えませんでしたところが急に驚くことを口にしたのです。

『あぁ、私この人が日本へ来た時、通訳したことあるわ』

そして、名残惜しむように

茶碗にお茶を注ぎ、美味しそうに沢庵を頬張りその後に説明は無し、私達は私達であまりに母のさっぱり感のせいで二の句が告げられずにいました。

母ちゃん恐るべしである。

こういう人であるから相手が間違っていると思えば、

たとえその相手が黒澤明であろうが関係ないのであります。

その母も晩年は信じられないくらい人格が変わり柔和になった父と二人、穏やかに暮らしていたことをお知らせして今日を終わりたいと思います。