三月が始まると言うのに、秋津由理恵の郷里は寒かった。
駅前には、必ずいるはずのタクシーも無く、ただ一軒ある食堂でタクシーを呼んでもらい少し待っていると
県道と思われる道を駅に向かって右折して来るタクシーが見えたが、予想に反して新車だった。
二人の前に停車した新車のタクシーに乗り込むと、行先を告げた。
『雲巌寺へお願いします』
運転手は、目的地を確認するように言ってから車を出した。
『わかりました、雲巌寺ですね』
城所浩一が運転手に尋ねる
『お寺は遠いんですか』
『お客さん達は雲巌寺へは初めてですか』
『そうなんです、初めてなんです、用事が済みましたら秋津という家に行ってもらえますか』
由理恵が口を挟む
『時間がどれだけかかるか判らないから待ってもらうのは悪いは、また電話させてもらいます』
『お客さん達は秋津さんと関わりのある方ですか』
運転手の問い掛けに頷くと
『そうですかぁ、それなら待ってますよ、時間は気にしないでください』
『それじゃあ悪いでしょ、いいんでか?』
運転手は、気にしないでくれと言い、タクシーのアクセルを踏んだ。
二人の予想に反して雲巌寺は直ぐ近くにあった。
杉の並木道が、ゆっくりと
坂道を登って行く、その先は真っ黒な雲巌寺の森へと続いている。
その森に囲まれた静けさの中に寺はあった。
運転手の、此処に来ると気持ちが和みますの言葉が到着の合図。
二人は雲巌寺の本堂の前でタクシーを降りて、古い柱に設えている呼び鈴を押した。
寺の中から足音が近づいて来て、若い僧侶が本堂の扉を開け、中から顔を出してにっこりと笑った。
『秋津さんですね、お待ちしておりました、住職も待って居られます』
愛嬌のある僧侶は二人を招き入れ住職の居る方へと、二人の到着を知らせた。
本堂の中はゆったりと香が薫り、二人は千年の時間に包まれたような穏やかな心になっていた。
雲巌寺の本尊は観世音菩薩の立像で、今から六百年程昔、この雲巌寺の在る森の奥に流星が落下したことがあった。
その影響で山はすべてが燃え尽くし、山全体が灰と化した。
その灰の中に一本だけ樅の木が残っていた。
その樅の木を使って観世音菩薩像を作ったと伝えられている。
秋津由理恵は小学校六年生の時にこの話を学校で聞いている。
由理恵がそんな話を思い出していると『やあ、お待たせしてしまいました、あなたが秋津由理恵さんですね、こちらの方は?』
由理恵は城所浩一のことを
自分の婚約者だと紹介した
。
住職はにこりとして、若い僧侶が出して来たお茶を飲むように促し、自分もそれを飲んだ。
『わたしが貴女の見た夢のことを知っていることが不思議だとは思いませんかな』
白い髭を口元に蓄えた住職は優しい眼差しを由理恵に向けてそう言った。
浩一も由理恵もそれが一番気になっていたことだったが、いきなり老住職は二人に直球を投げて来た。
続く。