心の奥を知って下さい❸ | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。


 

さぁ!私の名前の由来も伝えられた事ですし、私の子供の頃の話しの続きを始める事と致しましょう。


赤ん坊の時代は鎌倉・横浜と移り、私は幼稚園時代を東京で迎えます。

何故、東京に住むようになったかと言うと、私の両親が不仲だった事が原因の最たるものだと言えるでしょう。

なんといっても、私はまだヨチヨチ歩きの頃から幼稚園児の時代、両親の複雑な大人の事情は理解は出来ません。

少しマセて来た頃にはなんとなく解って来ましたけど

東京、港区の瑞祥幼稚園に入園しました。

憶えているのは、その頃の家のすぐ近くに、皆んなが《服部ハウス》と呼ぶ大きな邸宅があって、その玄関に幼稚園のバスが🚌来るんです毎日その《服部ハウス》迄行ってそこから幼稚園まで行きます。

でも幼稚園の有った場所が解らないんです。


今でも憶えているのは、幼稚園はお釈迦様の誕生日だか命日に甘茶を小さなお釈迦様の像にふりかけるんです。

私達はお釈迦様の水浴びが終わると甘茶が振舞われ、私はお茶の甘いのが珍しく結構、好きでした。

幼稚園時代の強烈な思い出は、母に私の頭をクルクルのパーマにされてしまったことです。

幼稚園の庭先にある水道で必死になって頭を洗いました。

そんなことしても、意味はないのに。


とにかく私の母は、普通のおばちゃんでは有りませんでした。

やがて私は小学校に進みます。

昭和の時代、世の中のお母さんは、父母会やPTAの集まりなどで学校に行く場合

着物に羽織という姿で行くことが当たり前でした。


ところが、私の母は違うんです。

外国人しか着ないような、アメリカ映画の女優さんが着るようなスーツ姿かカクテルドレス👗でやって来るんです。

私は参観日が本当に嫌でした。