燻んだ枯葉色に覆われていた山がゆっくりと、やがて一斉に若い緑に塗り替えられる。
今年もその季節がやって来た。
その春が、今年は少し違っている。
それは、全国から熊の被害が相次いで報告されていたからだ。
それでも北海道の原野や東北地方の農村からの報告には都市部の人間達が危機感を持つことも無く、街は穏やかな日常を送っていた。
五月になると明確に熊による犠牲者と確認出来る死者の数は七四名、重症者の数は百人を突破した。
六月には更にその数は増加して死者百二十三名、重症者二百六名となった。
政府は早急に解決策を決定して事態を収めようと、対策委員会を設立し、その責任者を厚労大臣とし、防衛大臣、警察庁長官も実行委員として加わった。
この頃から、次第に世の中にも緊張感が出て来た。
熊を見た、熊に追われた、熊に飛びつかれた等という報告は日増しに増えて、山間地域から住宅地へと報告される場所が変化すると、只事ではないと、ようやく危機感が都市部の住民にも高まって来た。
対策委員会よりリストアップされた熊の専門家、さらに狩猟家の処に連絡が入った。
その中の一人に昨年度、東京大学を退職した百地幸一郎という男がいた。
彼は生物学を専攻していて
殊に熊に関しては第一人者と周りから折紙の付けられて居る人物だった。
百地は政府から送られて来た熊についての、ここ数年間の資料を精査した。
これには東大時代、百地の研究室で彼の助手として働いていた二人の人間が百地に呼び出され、協力している。
二人というのは今年四十歳になった木村良平と三八歳の加藤拓也だった。
百地はこの二人と、ごく最近熊が出現し五名の犠牲者を出している関東地方の町に調査に入った。
その町は都心まで電車なら三○分、車なら道路の状況次第では一時間程度だろうか。
百地達は被害があった場所に近い駅を選び、駅前商店街の中にある喫茶店を待ち合わせ場所にした。
その商店街は希望の町商店街という名前が付いていた
。
百地に呼び出された二人は
彼と合流すると、まずそのことに触れた。
『希望の町商店街って誰がつけたんですかねベタ過ぎません、それにこの店も《くるみ》って昭和かよって感じですよね、先生』
百地は、ただ笑っていた。