社会人プロレス連盟〜五 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。



 あちこちと回り道をしてしまい申し訳ありません。

今回から軌道修正して参ります。


ただ、社会人プロレスの事は時間も経ちましたし、正直あまり憶えて居ないんです。

一番記憶に残っているのは旗揚げ二連戦のひとつ、後楽園ホール大会と葛飾橋病院体育館を借りて続けた2部リーグ3部リーグの会員中心の興行?と言うか試合です。

この二つが三十年の時間を過ぎた現在でも私の心の中に鮮明に残っているのです

後楽園ホール大会は、私にとって何もかもが初めて尽くしでした。

当時の住まいの近くにO君という若者が住んでいて、アマチュアレスリングをやって居ました。

彼がプロレスラーを目指し

最終的に全日本プロレスに入団しました。

その彼が試合をするというので、後楽園ホールまで行きました。

その一回しか経験が有りません。

そこへ行って若い男の子達を陣頭指揮して興行の準備をする。

よくやったもんだと今でも思います。

失敗したという記憶が無いので、なんとかやったんですねぇ。

もうひとつが葛飾橋病院体育館で継続して開催していたミニ興行です。


2部・3部リーグの会員達は大半が大学生でしたからレスラーとしての才能はともかくとして、企画力は有りました。

ずいぶん助けて貰いました

驚いたのは、3部リーグの中に女子が2名参加している事でした。

彼女達は女性の特性を活かして、色々雑用をこなしてくれました。

皆んな現在は五十代、立派なご婦人になって居る事と思います。

幸せに暮らしていることを祈ります。


楽しいことの多かった葛飾橋病院の思い出を汚した出来事が有りました。


会員のひとりの不心得者がやった事です。


谷津嘉章の発案で2部・3部の会員達には月間、たしか二千円程度の会費を取っていました。

その取りまとめに関しては2名の女性会員が担当してくれました。

その会費を言葉巧みに女子会員から自分の方へ変更させ、銀行に納める途中で自転車のカゴから誰かに持ち逃げされたという話を吹聴した会員のFという男が居たのです。


二人の女性会員はFの話はまったくの嘘だと気がついているらしく、私はその事を報告されました。


新日本出身の亡くなった選手が団体を旗揚げした時にこのクズのような男は、その団体に入団しています。

最近は噂も聞きませんが、何処かでつまらない嘘をついているのでしょうか?

懐かしいプロレスの思い出を語る時にこんな話をするのかと思う方も居るのではないかと思います。


社会人プロレスの会員達はごく一部を除いては皆、貧しさの中でプロレスへの夢を諦めずに頑張っていました。

その後、プロレスラーに成った選手もいますが大半が夢を追いかけて苦しんでいた筈です。

その彼等が苦しい中で工面した金を搾取する、泥棒です。

実名を書きたいほどですがそれはやめておきます。

次回は楽しく話を進めます。

今回は許してください。