新日本プロレスの話題で、時間が空いてしまいましたが、話を再開する事にします。
アメリカのプロレス界で生まれた言葉です。
《FAKE》これが《ケイフェイ》の元になる単語です
。
ご存知の通り、《FAKE》の意味は『偽物』です。
それを基に《ケイフェイ》は生まれました。
《befake》という言もケイフェイの語源と言われています。
意味は『でっちあげ』。
では、誰に対して『でっちあげ』るのでしょうか。
それはもちろん、プロレスを観る観客です。
《ケイフェイ》なる言葉は永くプロレス業界の
レスラー、主催者、団体関係者、等々が観客、視聴者に対してでっちあげると言うことです。
昔から、観客、視聴者の中には『あれはおかしい』
『八百長じゃないだろうか』と言う人は居ましたが
視点を変えて見るとプロレス業界の人は、そういう観客その他の厳しい目と闘って来たと言えるでしょう。
プロレスはこういった眼と永い間、戦い続けて来たのです。
そして《ケイフェイ》をやり続けて来たのです
私がプロレス業界にいた頃
、すでにそういう流れは出来ていたと思います。
どういう事かと言うと、既に観客側はプロレスはどっちが勝つか解らないという
枠の外側の物だと認識しているのだと言う事です。
こんな経験が有ります。
場所は後楽園ホールでした
。
私の団体の興行ではなく他の団体の興行だったと思いますが、ある試合の最中に
大技を盛んに繰り出す選手に防戦一方の相手選手、何度も攻撃されてグロッキー状態。
その時二階の立ち見席から声が上がる。
『上手いよなぁ』
私は、体操選手のような華麗な大技を繰り出す選手への声援かと思っていたが、そうではなく、やられている選手への声援だった。
なんでやられている選手が『上手いなぁ』なのか。
彼等は、大技を連発する選手より、その大技を受けて苦しむ選手の方が、この試合をプロデュースしている事が判っていたのです。
要するに《ケイフェイ》などというものは、とっくにその壁を踏み越えられてしまっているのです。
私が、新日本のドーム大会をテレビ観戦した後に、いろいろ言ったのは、あの頃のプロレスと現在の変化を感じたからなのです。
私が観ていたプロレス、私が運営していたプロレスはそんなものでは無かった。
長州、藤波以下の選手達が繰り広げるプロレスには、観ている側が茶化せるような隙間など、まったくなかった。
彼等の創り出す試合には、観ている側の関節が軋み、筋肉が痛むような説得力のある試合だった。
彼等は《ケイフェイ》の向う側にいる不特定多数の人間達と闘っていたのです。
プロレスの真実を理解して尚且つ楽しんでいるプロレスファン、同じファンでもあの頃のファンとは微妙に違って居る。
いや、ファンよりもプロレス業界の方が今の状況に甘えていると私は思う。
東京ドームのウルフアロン選手の黒いショートタイツ姿を、大谷晋二郎はなんと思ったのだろう。
今は亡き福田雅一はどうだろう。
彼等の青春そのものである
彼等の青春のシンボルを、汚さないで欲しかったとは部外者の余計な一言です。
次回は、今日の続きを書こうと思います。
お待ち下さい。