私の秘密 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

今日は私の小学生時代の事を書いてみようと思いますので宜しくお願いします。

小学生時代の事をと言っても、五〇年以上昔の事ですから記憶が断片的で勘違いも多くて困ります。

私は小学校の二年生あたりだっと思いますが、両親どちらかの勧めで子役になる事になりました。

自分から子役になりたいと希望した記憶はありませんし、当時のことをよく知っているだろう人間は両親と姉がおりますが、三人とも既に鬼籍に入っている為に確認のしようがありません
から調べる事も出来ません
うっすらと憶えている事は私の父は何故か芸能関係と言いますか俳優さんに知り合いが多く、そんな話をよく聞きました。

私が小学生の頃、父の友人に神奈川県の茅ヶ崎市の市長がいました。
もちろん亡くなって久しくこんな時代なのでその方の御名前は控えさせてもらいます。
その市長さんの奥様が父と交友関係が市長さんとは別にあったらしく、その奥様のお姉様も茅ヶ崎市に住んでいて弁護士協会の会長の奥様でした。

市長の奥様の若い時の写真を初めて見た私は、日本人の中にこんな外国人のような美人がいる事が信じられませんでした。
写真の中の奥様はハリウッド女優だと言っても通用するような美人でした。


その頃の茅ヶ崎市東海岸と言う所は別荘として使用している人も多く、大企業の寮や厚生施設なども有ったようです。
プロ野球の選手の家が有ったり俳優の家もあったようです。
当時子供だった私はそんな事はまったく知らなかったんですが、そんな街でした。
この茅ヶ崎には加山雄三さんも住んでいました。
上原謙という戦前から映画
スターとして活躍していた人が加山雄三さんのお父さんでお母さんも小桜葉子さんという女優さんです。
そして上原謙さんと私の父は知り合いでした。
だからと言ってこれらのことが私が子役になった事とは関係があるとは思えません。
ただこの茅ヶ崎の街と海は小学生の頃から高校生時代迄、私には深いかかわりのある処だったのです。

小学の二年生の時になって《ひまわり》という劇団に
受験しました。
私はお陰様で合格しましたが、実際には《ひまわり》に行きませんでした。
そしてその一年ほど後になって、東京の新橋にあった
劇団《あすなろ》という処に入団しました。

何故《ひまわり》に入るのを辞めたのか、なのにまた《あすなろ》という劇団に入ったのかは、今となってはまったく判りませんし、
調べようも有りません。

だいぶ長くなりましたので
今日はこの辺で、次回またこの続きをかきますさ。