題名の決まらない『小説』 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

序章〜参

中途採用で役所に入った防人には、市長との面識は無いと言って良いほどだ、月に一度、市長がリモートで全職員に少し長めの訓辞をする習慣があるが、その時以外は数ヶ月に一度くらいの間隔で庁舎の廊下などで偶然出会う事ぐらいしかなかった、個人的に会ったことなどもちろんない。
その市長が自分を知っていることが、まったく解らない。
総務課長の川畑に市長のことを教えられてから中々仕事に集中することが出来ず気がつくと昼になっていた。
職員用の食堂で昼食はすませたものの、何を食べたかもよく判らない、つくづく自分の小心さに嫌気がさしてそのことに撃ちのめされたような気になった。
それでも自分を奮い立たせ洗面所に行き、鏡の前で身繕いを確認しその鏡に向かって『よしッ』と気合いを入れた。
どきどきと言うほどではなかったが、かなりの緊張感に包まれて市長室の前に立ったのは一時丁度だった。
ノックをし防人勇人ですと声をかけると中から直ぐにどうぞと返事が返ってきた市長の声なのだろう。
中へ入ると淡い藍色のカーテンで外の景色を遮断した中に織田三郎市長は大きな革張りの椅子に腰掛けている。
『いやぁ防人君、呼び立ててすまないなぁ、座って下さい』
言われるままに腰掛けたソフアは彼がそれまでの人生で座ったどのソフアより快適な座り心地だった。
『防人君は、この部屋は初めてだったよね』
市長は気軽に話しかけてくる。
『此処の景色はなかなか見応えがあるよ、取り敢えず見てごらんなさい』
市長はそう言うとテーブルの上のカーテン用のリモコンを手にした。
市長室の閉じられていたカーテンが音も無く真ん中から左右に開き始める。

そのカーテンはまるでこれから彼の人生に展開される
劇の始まりを告げる緞帳のようだった。