忘れて来た約束を探して 《最終回其の四》 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

心和むような、初冬の晴れた空。

しかし、千夏の家の中は違っていた。

少し前に尊にかかって来た電話が全ての原因だということは千夏にも判っていた。

それほど、尊の表情や醸し出す雰囲気がこの数ヶ月のものとはまったく違っていたからだ。

何があったのかを訊ねることさえ憚られた。

千夏は、尊の体温が感じられるほど近いところに立っていたが、その距離は遥かに遠く、尊が何処が遠い世界に行ってしまったような気がした。

「ちーちゃん、はなしがあるんだ」

尊が真剣な表情で話しかけて来た。

声をかけてくれたことがきっかけとなって、何があったのかを聞く事が出来た。

彼女を怯えさせないように、

尊は何が起きているかを語った。

恐怖に押し潰されそうな気がした。

また数ヶ月前のような恐ろしい思いをしなくてはいけないのだろうか、あの時のように尊の背中だけを頼りに進むことが出来るだろうか、千夏は胃袋の中を何かに掴まれるような苦しさを感じていた。

「どうも仁和会の若い奴等が、俺を何とかしようとしてるらしい、君にとばっちりが行かないようにするつもりだけど、暫くは夜は外出しないようにして」

尊はそういうと出かけて来るからと言った。

そして「やっと君を掴まえたんだ、これからの人生は君と歩くと決めたんだ、だから今回の事は必ず片付けるから、少しの間我慢して欲しい、なぁに直ぐに終わる」

そう言うと尊は笑った。

その笑顔が嬉しかったけれど、不安な思いが増幅もした。

千夏が気をつけなくてはいけないことを幾つか伝えると西田に電話して待合せを決めた。

尊が出て行くと家の中は急に閑散となってしまった。


尊は新宿の雑踏にいた。

西田竜二と会う為だった。

約束した店は西口に在り、

獄中生活に入る前からこの店が好きだったようである。

今日も其処を待ち合わせにしていた。

尊が店に着いた時、すでに西田竜二は中にいた。

西田は立ち上がって、尊が自分の座っている場所が判るようにした。

「悪いな、だいぶ待ったか」

尊が西田に言葉をかけると、

西田は笑顔で否定した。

「二、三分前ですよ、自分

が来たの」

ウェイターが注文を聞きに来て尊の前に水を置いた。

その水を飲み干すと、珈琲を注文し、電話で西田が言っていた話について細かく聞きたいと伝えた。

「実はですね、若いのがどうも叔父貴と工藤との事を間違った話し吹き込まれてるみたいなんですよ」

西田竜二は、尊に解りやすく説明した。

若い組員達が、今回の騒動は永い懲役から戻った叔父貴がその空白を埋める策をいろいろ考えた挙句、会長の後釜に坐るつもりでクーデターを起こした。

工藤は組と会長を護る為に小田尊の向こうに立った。

今回の事では工藤は全くの被害者。

悪いのは叔父貴、小田尊だという事になっている。

更に、事の真相を知っている古参の幹部連中にも手を回していた。

今回の一連の事件で組の中は誤魔化せた、しかし警察は無理だった。

その所為で工藤は拘置所から裁判を経て収監される。

今回の騒動について小田尊ではなく自分に味方してくれるなら後々、仁和会の中で立ち場は保証する。

「まぁ、みんな歳とってますから今更、命を的になどしません、叔父貴と昵懇だった昔の幹部達は、結局はこの話に尻尾降りましたよ。

馬鹿らしくなりました、叔父貴の薦めで足洗って良かったです」

「仕方ない、俺も歳とって判ったことが幾つもあるよ、古手の幹部達の気持ちも今は解る」

そう言った尊の顔は、寂しそうだった。

西田の話からすると、この話を聞いた若い組員達が工藤の意趣返しを計画し、実行して成功すれば、自分達の存在価値があがる。

そう考えても不思議はない。


しかし、その若い組員達に無軌道な事はして欲しく無いと尊は思った。

自分の身を護ることも勿論だが罪を重ねて牢獄に行く若者達が不憫だったからである。

そしてその若者達が、ある日自分の愚かな行動に気づき、牢獄の中で後悔の思いに押し潰されるような経験をさせたくなかった。

犠牲になるのは、若者達だ。

いつも狡猾な大人に振り回され、盾にされる若者達だ。

時代は変わってもその構図に変わりはない。


急に千夏の笑顔が浮かぶ。


尊は千夏が若い狼達の犠牲になることだけは回避しなくてはと思った。