千夏は、心地よい幸福感の中で目醒めた。
窓から薄手のカーテンを透して差し込んで来る冬の陽も心地よかったし、背後から自分を包み込む尊の存在が、いっそう幸福感を募らせていた。
振り向いて尊の顔が見たいと思ったが、それが怖いような気もする。
桑嶋との結婚生活は永かったが、新婚の時でさえこんなに満たされた幸福感など
なかった気がする。
自分は、この歳になって初めて、こんな思いになれた。
まるで、朝陽の輝きが今の幸福感を、そのまま表して
いるようだった。
背後の尊から気持ちの良さそうな寝息が聞こえて来る。
この人も、こんなに安心して眠ったことなど無かったのだろう。
自分の命を盾にして、この人はずっと生きて来たんだろう。
これからは自分と二人で穏やかな人生の最終章を、幸せな毎日を過ごして行こうと千夏は思い、振り向いて尊の顔を見た。
思った通りの穏やかな寝顔だった。
千夏は、尊を起こさないように気をつけながらベッドを抜け出し、朝食の支度をしようと寝室の扉を開けた。
パン食の朝食にするか米食にするかをシンクの前で少し考えてから結局、米を炊いて味噌汁との和食にすることに決めた。
あらかた、朝食の支度が済んだ頃に、尊が眼を覚まし寝室から姿を現した。
「おはよう」
「おはよう、おかげでよく眠れたよ」
そう言ってから、尊は洗面所に向かった。
尊が、洗顔を終えて食卓の椅子に腰を下ろした時、尊のズボンの中で携帯が鳴った。
電話の主は仁和会時代の尊の若衆だった西田竜二だった。
「久しぶりだな竜二、何かあったのか」
「えぇ、有りました、変な動きしてる奴らがいるんですよ」
「変な、どういうことだ」
西田は、尊の納得がいくように話しを始めた。
西田の話は驚くべき内容だった。
仁和会の組員達の中に尊の命を今頃になって狙っているというものだった。
それも、周到な準備を一○名ほどの若い組員達が動いているという内容だった。
さすがの尊もまったく寝耳に水だった。
尊は、また修羅の道へ自分が引き戻されて行くのを感じた。
「叔父貴、くれぐれも気をつけてくださいよ」
西田はそう言って電話を切った。
まだ何も起きてはいない。
いないのだが、千夏とのやっと掴んだ幸せが指の隙間から砂粒になって溢れてしまうように感じられた。
絶対に失いたくない千夏との時間を諦めることは出来ない、どんなことがあろうと絶対に諦めることは出来ない。
その為なら、鬼にでも修羅にでもなろうと決意したのである。