2022/02/21に書いブログを投稿します。 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。


何故か投稿を忘れていました。

私は今、此処に書いたようにネガティブではありません。 

ただ、今日の投稿と同じような内容なので。

    ダウンダウン    

スマホから西郷輝彦の訃報を知った。


彼がレコードやコンサート、テレビで活躍していた頃、個人的には歌謡曲に関心もなくレコードを購入したりチケットを買ってコンサートへ行ったこともなかった。


時期的には私の中学時代である。


当時の私はどちらかと言えば洋楽派だった。


中でも一番贔屓にしていたのは《ピーター•ポール&マリー》


略称《P.P.M》


まぁすごい人気だった。


中学生の私は大ファンだった。


《P.P.M》についての話はまたにするとして、西郷輝彦の享年を聞いてしみじみ自分の人生が終わりに近づいているのを感じた。


七月になると満七十歳。


亡くなった時点の西郷輝彦


さんが75歳。


私は彼より5歳若い。


5歳しか違わない。


心が揺れた。


私は歳をとるという感覚もなく、これまで生きてきたのだ。


私は何の準備も出来ていない。


まだ何かをやろうという気持ちを持っている。


しかしながら


5年後に死を迎えるかもしれないのだ。


あと5年で何が出来るのだろう。


私は


老人なのだ。


人生の黄昏れを迎える


その迎え方がわからない


そんな人間が生きていると


周囲に迷惑を撒き散らす


間違いない


友人


家族


その通りの生き方をしている。


私は大切な家族や友人に迷惑をこすりつけている。


ここまで来ると


次に出る言葉は


《死》である。


自ら


《死》を選択するしかない


つい最近


自分で勝手に思っていた


大切な存在の人に


相手も大切に思ってくれているとばかり


勝手に思っていた


そんな人から


LINEで絶交を言い渡された


最後の言葉に


古い言葉だが


介錯された思いになった。


《〜死んでればよかった》


私は大事な


もっとも信頼していた人に


ここまで憎まれていたのか


ここまで嫌われていたのか


心は


とっくに


折れてしまった。


普通なら


ここで終わるのが人生だ。



46歳の冬のある日


私は


熊谷の道場のリングに立ち


集まってくれた多くのファンの前で


おそらく


そこに


集った人達の全員が


団体の


レッスル夢ファクトリーの


解散宣言が


あると思っていただろう。


携帯電話が停まった。


料金が払えなかったから


家の電気が停まった。


料金が払えないから


そして迎えたこの日


言ってみれば絶対絶命


満身創痍だった。


マイクをつかんだ私は


『漢、髙田龍46歳!もう少しだけわがままさせて下さい!』


そんなことを言った


あの日から23年の時間が

流れた


あの日と同じ

満身創痍の私は


熊谷の冬の寒さに


耐えている。


そして口の中で呟く


『冬は必ず春となる』


私を見限った人


私を嘲笑った人


そんな人達に


あの日のように


叫ぶことはないが


いつ人生が終わるか


判らない


だから


そのわからない日が来ることに慄いていても


何も得ることは出来ない


恐れていても


状況が変わることはない


状況を


運命を


いや我が宿命を


自らを信じて


心臓の鼓動が止まる時まで


どんなに不様でも前に進もう!


膝の痛みに耐えながら前に進もう!


仲間が


協力者が


誰もいなくなっても


一人立とう!


古い言葉に


《獅子は伴侶を求めず》


とある。


『甘えるな❗️』


ぶつけてきた言葉に


不貞腐れるのではなく。


『死ねばいい』

憎しみ溢れる


刃のような言葉にも


俯かない


耳を塞がない


顔を上げよう!


みっともない顔でも。


きっといつか


笑える日が来ることを


諦めないで。


世界中の人が背を向けても


私は


私だけは


最期まで


髙田龍の味方でいよう❗️