箱根駅伝観戦記 その1 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

私の拙いブログを読んでくださっている方々に新年の挨拶をさせて頂きます。

旧年中はこのブログを閲覧して頂きありがとうございました。
今年も、肩に力をいれずに思いついたことを書いて参りますので引き続き宜しくお願い致します。

正月の二日三日はなんと言っても箱根駅伝である。

ここ数年、駅伝観戦が私のスタンダードになりつつある。

コロナ禍の中で、開催も危ぶまれる中、今年も無事開催された。

メディアにマイクを向けられる選手達から必ずと言っていいほど、開催出来るようになったことへの喜びと大会運営の方々への感謝が語られていたことからも、いくつものハードルを超えてこの日を迎えたのだろう。

コロナウィルスという見えない敵との戦いは選手も関係する人達も語りきれないエピソードがあったのだろうと思う。

往路のスタート地点の風景も変わっていた。

毎年、押しかけていた駅伝ファンの群衆はいない。

各大学のスタッフの姿と報道陣の姿は同じだったが、サラッとした風景がテレビ画面に映っている。

箱根駅伝に限らず、あらゆる分野の人々がコロナウィルスに苦しめられながら、生存と存続をかけて戦っている。

我慢をし、工夫をし、涙ぐましい不断の努力をしている。

庶民は強いとつくづく思う。

その庶民の代表として私達を先導する役目の政治家はどうだろう。

今、普通の国民が政治家に護られながら、生活していると実感している人がどれだけいるのだろう。

都知事をはじめ、政府関係者の記者会見などを観ても、形容詞ばかりが目立って、内容を感じられない。

お願い事ばかりが聴こえてくる。
あくまでも私の私感なので軽く読んで頂きたいのだが、私には納得出来ない事ばかりなのだ。

民衆の指導者が居ない。

手を洗え。
うがいをしろ。
人との距離をとれ。

会社に行かず、ネットを活用して新しいスタイルの働き方を実践しよう。

私達は、愚直と言えるほど守っている。

コロナ禍の中で、私達はいくつお願い事を聞いてきたのだろう。

どれだけ我慢してきたのだろう。

そんなことを、あれこれ思いながらスタート時間が近づいている大手町の風景を眺めていた。

なかなか箱根駅伝観戦記にならないけど、今日はこのへんで。