令和版『WJ』2 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

『本当か高田君、有り難いなぁ』 

『使って下さい、あんな物でよければ 

そんな会話が交わされたが、その永島勝司氏の側に具体的なプランは何ひとつ決まっていた訳ではなく、私も永島氏が将来、興行でも打つ時が有ったなら、必要に応じてリングを貸せばいいと思った程度だった。 


ところが『リング有りますよ』の、軽い気持ちで放たれた私のひと言は、永島氏の頭の中のシナップスに新たな情報として書き込まれたようで、何も考えていない筈の永島氏の口からは、酒の勢いも手伝ってか、次から次へと構想が口をついて出てくるのだった。


(いわく)、ナガシマ企画と云う肩書きの名刺を刷ったが、法人登記している訳ではないので、法人化したい。やがて長州力が新日本を飛び出した時には、その受け皿にしたい。

曰、プロレス団体を創るとなると多額の資金が必要となるしリスクも大きい。

むしろ、プロデュースを中心として、興行会社の形態にはしない。映像、グッズ、その他のプロレスに関する様々な事業を展開する。曰、唯一の所属選手は長州力である。


その長州力と総合の格闘家の試合を、もちろん総合のリングで企画する、既に水面下で交渉は始まっている。

他にも高額のギャラである処からオファーが来ている。 

その名前を聞いたときは、ゾクゾクしたことを今でも、はっきりと覚えている。


『しかしなぁ、金が無いんだ、金が 

そして、私と永島氏の久しぶりの語らいは終わった。


私が、夢ファクトリー閉じて三年。

私の環境は変わっていた。

何が変わったのか。


私の経済力が変わっていた。



別れ際に永島氏は取り敢えず2000万円が大至急必要だと私に告げた。 


私にどうすることも出来ないという金額でも無かった。


金が無いと云うだけで、チャンスを逃した人がどれだけ居たことだろう。

この私も、あと少し資金力があれば、あんな惨めな思いをすることは無かったろう、

還暦間近い永島氏の事を思うと、出来る事ならと云う思いが次第に膨らんで行った。


反面、矛盾するかも知れないが、私の中には釈然としない思いが居座っていたのも事実だ。


その理由は、氏の目指す夢への動力源が意趣遺恨だからである。

根底に恨みつらみが横たわっている内は、明朗な目標とは為らない。

これが当時の私の人生観だった様々経験を積み重ねて来たが、この人生観はまして、その夢や目標に到達するには、一般的に言って自分独りではなく多くの人の協力を必要とする。

同じ夢を共有出来たとしても、単純に夢を追うことと、その根底に遺恨なり復讐という感情を忍ばせて居るのとでは、始めから微妙にズレを生じてしまうと思う。

それに、夢は共有出来たとしても、復讐心などは直接同じ被害を被らない限り、温度差が生じてしまうのは当然、動機が不純と言ってしまえば当事者には失礼とは思うものの、やはり、永島氏の口から何度も聞かされた『猪木の野郎云々』は、耳障りだった事だけは確かだ。


ともあれ、その日から永島氏からの連絡は頻繁になった。


永島氏の会社設立とそれに関わる協力者探しは、さしたる進展も無く時間は過ぎるばかりのようだった。 


そうこうしているうちに、永島氏の言っていた通り、長州力が新日本プロレスを電撃的に退団。


何かが動き出した。 


私は、志半ばにしてプロレス界を後にはしたが、この頃、プロレス界に復帰したいと云う気持ちはまったく無かった。

今の仕事で力を貯えながら、人生の仕上げの準備に入ろうと思っていた。


しかし、私の思いとは反対に、私の立ち位置は、少しづつプロレス界に近付いていたのだった。