突然ですがレッスル夢ファクトリー | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

 以前に投稿したものですが、今日はこれを読んで下さい
         
知っている人が何人いるんだろう。

『レッスル夢ファクトリー』

プロレス団体の名前です。

私やこのブログを読んでくれている人達からすれば普通なのだが、一般の多くの方達からすれば、『何それ?』って感じだと思う。

一般の、いやプロレスファンでない人達からすれば、あの『新日本プロレス』くらいしか知らないはず、それすら知らない人も居るかもしれない。

そんな団体のことを憶えていてくれる人達がいる。

嬉しいじゃないですか。

出来たのは1994年の秋。

旗揚戦は、翌年の3月31日。

Wikipediaを見ると2001年
経営難により解散とある。

あの頃の私の人生を振り返った時、Wikipediaに嘘はないが、 わずか11文字で片づけられるのもどうかなって感じだと思う。

安田格了氏からのトークイベントのオファーの電話に私が即座にOKしたのは何故だろうか。

Wikipediaに書かれている2001年頃、私はすでに夢ファクトリーの代表ではなくなっていた。

自分で辞めた訳ではない。

姑息で邪で、どうしようもないほど哀しい男のたくらみで知らないうちに代表でなくなっていたのだ。

何度か、話して欲しい、イベントに出演して欲しいなどの依頼をうけたことはあったが、すべてお断りして来た。

理由は、純粋に『レッスル夢ファクトリー』を愛してくれた人達が知りたくもないような話を聞かせる必要がないし、私自身の正義を語る中で裏話を伏せる自信がなかったからである。
最近は、そんな依頼も無くなっていた。
人間は誰でも客観的に物事を捉え続けられ難い動物だと私は思っている。
黙して語らず、が一番だと考えた。

しかし、20年を超えてまだ『レッル夢ファクトリー』を憶えていてくれる人達がいることが嬉しかったからだ。

下地はあった。

昨年末、仕事で出会った人と名刺を交換。

『髙田と申します』と言って名刺を差し出した私に、相手の方はこう言った。

『存じ上げております』

『???』

『私、夢ファク。見てました。後楽園とか行きましたよ。』

居るんだぁこういう人が、私はそう思った。

その時のことは私の中に残っていたことも無関係ではない。

何をどう話すかも決めてはいない。

ただ、会いたいのだ。

その人達に。

世紀末の短い期間存在していたちっぽけな団体を憶えている人達に私は会いたいと思った。

イベントは都内で福田雅一の追悼を込めて行われる。
だから四月にやるのだそうだ。











少しでも多くの人に会いたいと思う。