弥生三月 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

暦を一枚めくると、春が周りで始まった。

匂い、皮膚に伝わってくる温もり、様々な事が春になったことを教えてくれる。

たぶん私は、毎年この季節に季節について書いてきたのだろう。

そして、私の人生の中でも節目になる出来事が、この三月にはあった。

私のブログをご覧の方は、ご存知のこととは思うが、あの『レッスル夢ファクトリー』も、旗揚げ興行をしたのは、三月の終わり。
『WJ』の横浜アリーナも三月だった。

私にとっての節目ではあっても、皆さんにとってはどうって事はないだろう。


さて、今年の三月はどうだろう。

巷では、日本人の親達が急に子供達の虐待に立ち上がりでもしたかのように、幼気な子供が被害を受けている記事や話題に溢れている。

行政は、躾けの一環としての暴力を認めないと声高に叫ぶ。

そして、法律を作ろうとしている。

私の意見は、やるべきとは思うが、そんな事でバカな親達は鉾を収めるのだろうかと思っている。

その証拠に、これほどメディアで騒がれている今ですら、胸くその悪くなる事件は起きている。
大切なのは、子供を愛おしく思う心だろう。

それに尽きると思う。

私には、二人の子供がいる。

もうすっかり大人だが。

この二人が小さい頃、私は躾けという理由で叩いたり、殴ったりした事はただの一度もない。

叱った事は、もちろんあるが、目にいっぱい泪を溜めた我が子の顔を見ているだけで私の心は折れた。

子供は可愛い。

どんなに不細工だったとしても、我が子は可愛い。

さまざまな状況のもとで産まれて来る子は多い。

だからといって、産まれて来た子供になんの罪があるというのか。

すべてがこちら側の、親達の理由ではないか。

産まれて来る場所を子供達は選べないのだから、迎える側の親達には、子供達を迎える責任と努力が必要なことのはず。

そのことが出来ないというなら、子供を欲しがらない事だ。

昔の話になるが、今は三十路の娘が幼かった頃。

酷い高熱に苦しむ娘は、傍目にも辛さがわかるほどだった。

熱のためなのだろうか、顔を真っ赤にして、息遣いもう苦しそうだった。

鼻が詰まっていて、思うように呼吸もままならないでいた。

励ましたり、なだめたりしていた私だが、泣き噦る娘の姿を見ているのも辛く、代われるものなら代わってやりたいと真剣に思ったりもした。


鼻を詰まらせ、苦しんでいる。

熱も高い。

呼吸もあらい。

私は、娘の鼻を口で覆い、思い切り吸い上げた。

呼吸が楽になったのだろうか、やがて娘は寝息をたてて眠ってしまった。

幼い子供は、抱え込むようにして育てるものだ。

そんな事は、犬や猫でも知っている。
親にとって。

子供は宝。

子供は希望。

子供は夢を託すもの。

私の父は生前、孫にあたる私の娘にこう言った。

『食べてしまいたい。』

父の思いが解るようになった。

鬼畜のような親達には、解りようもないのだろう。

親の息遣いにさえ怯えなくてはならなかった。

自分の前に仁王立ちしている親を見上げて震えていた。

悲し過ぎる子供達の来世に幸多からんことを願いつつ合掌。

今年の春は、心が寒い。