福田雅一はレッスル夢ファクトリーに入団した。
喜ばしい事だったのか、どちらだったのだろう。
喜ばしい事だったのか、どちらだったのだろう。
福田雅一にとっても、私にとっても。
今となっても、明確な答えは見つからない。
ともあれ、福田雅一の命日が今年も近づいている。
毎年この頃になると、私には必ず思い出すことがある。
まったく福田雅一と縁もなく、ファンでもない人にとっては、少しばかり気味の悪い話になるかもしれないが、彼にゆかりの濃い人達にしてみれば、胸に迫るものがあるのではないだろうか。
前置きはこのくらいにしておこう。
福田雅一が逝ってから一年か、三年が過ぎた頃だったと想うが
新日本プロレスによる追悼興行が彼の故郷で行われた後に私は墓参りをしたあと、福田の生家を訪ねている。
大事な自慢の息子を、突然の喪ったご両親の悲しみのほどは、想像もつかなかったが、勤めて明るく振る舞う二人の姿が、印象的だった。
この家に福田雅一の姿がなく、そこに私がいることが不思議な気分だった。
思い出話に花が咲いていたときだった。
福田の母親が、何かを思い出したように立ち上がり、『代表、見て欲しいものがあるの、マサカズが帰って来たの。』
『?』私には話の意味がわからなかった。
茶の間を出て行った母親は、すぐにアルバムを持って戻って来た。
《福田家の墓に御影石の碑を建てたのだけれど、そこに笑顔のマサカズが写っていた。》
そういった内容のことを母親は私に伝えたあと、手にしたアルバムを開いて私の前に差し出した。
そこには、今しがた線香をあげて来た福田家の墓が写っていた。
それは、福田の姿を彫り込んだ黒い御影石の石碑が建てられた。
その御影石の石碑の表面に人の顔の様な、というより人の顔にしか見えない、笑顔の人間が映っていた。
『!!!!?』
それは何処から見ても、あの福田雅一の顔だった。
嬉しそうに笑う福田雅一だ。
私は、ただ驚くばかりだったが、彼の母親はアルバムを胸に抱き締めるようにして、喜んでいる。
気味悪がるどころか、だった。
テレビ番組などで夏の頃になると、よく神霊特集などと銘打ち、この手の写真が登場するが、中には白い縁取りをしなくては、形を理解出来ないようなふざけたものもある。あの日見せて貰った写真は誰が見ても福田雅一の顔だった。
皆さんは嗤うかも知れないが、あれを実際に見た私には、否定することは出来ない。
たしか、二人ほど私に同行した元夢ファクトリーのレスラーがいたと思うが、彼等も驚いていたのを驚いているのだが、誰だったのか忘れてしまった。
私達の気の所為なのかも知れないし、福田雅一の念いがあのような形になったのか、それは解らないが、あの笑顔は、怨みとかのオドロオドロシイものにはこの世に未練を残したような顔には見えなかった。
怨みはなくても、未練はあったろうと私は思う。
やりたかった事や夢はあったはず。
今回は、取り留めもない話に終始してしまったが、福田の命日が二日後に迫った今、思い出す事は多い。
彼と過ごした日々の様々な出来事が浮かんでは消えたあとに、浮かんだ場面があった。
あのWJの旗揚げ前のこと、並んで座った銀座のカウンターバーで、ロックグラスをして傾けながら、『今、アイツがいてくれたらなぁ・・・』と呟いた長州力の姿だった。
夢ファクトリーの時代から福田雅一が新日本プロレスに入団した後も、私は長州力とは交流が無かった。
福田の葬儀の時も、眼を真っ赤にした彼とは、すれ違っただけだ。
思いもよらなかったWJで、私と長州力の交流が始まった。
二人で飲み歩いたことも少なくない。
一緒いることも多かった。
福田雅一の新日本プロレスは、長州力の付け人から始まったようだった。
その長州力と私がWJで出会った。
私は、福田雅一が引き合わせてくれたのだと、今も思っている。