昭和世代が紡いだ平成プロレス〜大杉漣 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

   平昌から連続して届けられる日本選手の活躍に日本列島が元気付けられていた頃。

おそらくは、映画界の歴史の一頁に記されるであろう名脇役が逝った。

おそらく、映画館に行くことのない方でも、彼の顔を知らない人はいないと言えるほどテレビに出ていて、茶の間で見ない日はないだろうと言える俳優だった。

俳優仲間達に看取られながら、あっという間に逝ってしまったという。

亡くなるその日もドラマの収録だったという。

彼の死後、毎日のようにその人間性を知ることが出来る、エピソードが次々と伝えられた。

平昌の日本人選手の感動的なエピソードを縦糸に大杉漣という俳優の早すぎる死、そしてこちらは悲しみを伴う感動的なエピソードを横糸として、多くの国民が不思議な涙と爽快感に包まれた数日だったのではないだろうか。


『早すぎる死』と言えば、私の周囲には本当に、死んだ事が早すぎる人が何人もいる。


その最たるものはなんといっても、福田雅一だろう。

2000年4月19日、巡業先の試合中に倒れ、数日後に昏睡状態から還らぬ人となってしまった。


まだ、たった27歳。

『早すぎる死』と言えば、彼ほどそれに当てはまる人間はいない。

生きていれば、今年45歳。

リングを降りていたかどうかは別として、立派な壮年になっていたことは確かだ。


私の生命を分け与えることが出来たらと、あの頃何度思ったか知れない。

齢、60を超えた人が亡くなっても、早いと言われるほど、高齢化の進んだ社会で、わずか20数年で人生に幕を下ろしてしまった彼に、どんな言葉をかければいいと言うのか。

福田雅一が逝った日がまたやって来る。

次回から、福田雅一の話をしたいと思う。

このブログをご覧になって下さる方々の中に福田雅一との思い出がある方は、コメントして下さると嬉しいのですが・・・。


大好きだった俳優の大杉漣の訃報から松吉のことを思い出した夜。