昭和世代が紡いだ平成プロレス〜夢ファクこぼれ話。 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

  前回の投稿で申し上げた通り、今回から時系列にとらわれる事なく、今も私の心に残っているエピソードを思いつくままに書こうと思っている。

何を書こうかと、あれこれ思案していると、数日前から月曜日には関東地方も雪になるという情報を、ニュースや情報番組の中で、気象予報士が話していた。

そして、迎えた月曜日。

鉛のような色の空から、午後になって白いものが落ち始め、夜にはかなりの勢いになった。

雪は夜半には止み、静かな雪景色が闇の中に拡がっていた。

その時私は、ある事を思い出した。

同じ頃、私の住む街から遥かな場所で、彼も同じ事を思い出していたようだ。


彼と言うのは、《ザ・ウルフ》。

ザ、がついたかどうか、はっきりとしないが。

私と彼が思い出したのは、その《ザ・ウルフ》の引退試合のことだ。

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1998年1月8日。

この日、まだ正月気分も抜け切らない東京は、大雪に見舞われた。

雪国の人から見れば何でもないような降雪量なのだろうが、そんな雪でも東京は機能停止になってしまう。
今も昔も変わらない。

ザ・ウルフの引退試合は凍てついた都内の、北沢タウンホールで行われた。

【雪になるかもしれない】

朝のテレビやラジオなどでも、そんなことが伝えられていた。

前夜のうちに道場のリングを解体し、トラックに積み込こんで、翌朝出発。

目指すは、東京・北沢タウンホール!

ま。興行のある日のいつもの風景だったので、そんなに意気込む必要もないのだが・・・。

たしか、道場を出た時には空は晴れていた記憶があるが、タウンホールに到着し、リングを搬入する頃の東京の空は曇っていた。

興行の準備を進めているうちに、ホール内にいた私に、雪が降り始めたと誰かが知らせてくれた。

古い諺に、『雪は豊年の貢』(ミツギ)、『雪は豊年の瑞』(シルシ)などというものがある。
私は、その諺を思い出していた。

《新年早々の雪、今年は何かいい事があるぞ!》

それは、レフリーと《ザ・ウルフ》を見事に同じ興行の中で、勤め切ってくれた『N君』への天の貢ぎ物でもあるのだろうなぁと、そんな事を考えていた。

あえて、『N君』としたことに一言。

それは、彼の涙ぐましい努力を彼のファンの方達が温かく見守ってくれていたたからだ。

誰もが、判っていた。

誰もが、知っていた。

そして、誰もが『N君』の努力の大変さを理解し、応援していた。

私は、そんな心優しきファンの方達への感謝と敬意から、夢ファクトリーには、永山というレフリーがいたが、《ザ・ウルフ》と永山レフリーは別人だと断言しておく。

それが、《ザ・ウルフ》と彼のファンの方達への礼儀だと思っている。


夢ファクトリーの会場には、私の知る限り、『ザ・ウルフってさあ、あの永山ってレフリーが被ってるんだぜ。』などというヤボな客はいなかった。

レッスル夢ファクトリーの会場は心地良い空間だった。

レフリーの永山君については、最近、凄いエピソードがある。

なので、次回も書かせてもらおうと思う。

お楽しみに。