昭和世代が紡いだ平成プロレス〜哀悼 プロレスラー篠真一 2 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

  大手電機メーカーの体育館。
《レッスル夢ファクトリー》はもちろん、SPWFも無かった頃。

私は、その体育館で初めて篠真一と出会った。

彼の第一印象は、《この人外人⁉️》だった。

色浅黒く、というよりも、インド人のように私には感じられた。

あとで判った事だが、彼はタンニングマシーンの愛用者だった。

顔も、古い言い回しで言えば、バタ臭い。

今で言う、ソース顔なのだ。

もちろん背も高く、大男だった。

シルエットは外人そのもの。

何の用事でその日、その体育館に行ったのかも、忘れてしまったが、初期のウィングに参加することが決まった茂木と三浦に誘われた私が彼等の練習を見物に行った、といったところだろうと思う。

笑顔に白い歯が印象的だった。

それから二十有余年、まさか私より何歳も若い彼が先に逝ってしまうことなど、想像すらしなかった。

無念という以外、言葉が見つからない。

私は、福田雅一に続いて二人目の《夢戦士》に先立たれた。

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今回の終わりに一言だけ付け加えたい事がある。

篠真一は、私の知る限り、正義感の強い男だった。

嘘で取り繕い、周囲を欺くような人間を認めるような人間ではない。

この世の中でこの言葉の意味を理解する人間は、深く噛み締めて貰いたい。

さて。

次回は、私の見た篠真一のユーモラスな思い出を書こうと思う。