プロレスが日本に根を下ろしてから、永い年月が経ち、隆盛の時期も有れば冬の時代もあった。
そして、プロレスラーが職業という人達は日本中に100人程度。
それが、ずっと続いていた。
前回も述べた通り、UWFの誕生を合図にしたかのように、FMW、WING、みちのくプロレス、等々。
あっという間に多団体時代が到来したのだ。
レスラーを名乗る人達の数は激増した。
私が立ち上げた《レッスル夢ファクトリー》は、そんな中で、たしか30番目に誕生した団体だった。
さらに、メジャー団体の選手も辛口のコメントを寄せている。
前述したように、この二つの写真を見ただけでも判るように、あの多団体時代は、需要から生まれたと言うより、こちらの都合で増えていったと言えるのではないだろうか。
急速に団体の数が増えれば、そこには団体の体裁を備える為の、人員の確保が必要になる。
レスラーはもちろんのこと、フロントスタッフも当然必要になってくる。
そこに、様々な問題も生まれてくる。
リングに上がる選手達の数を揃えることは、実はそれほど難しいことではなかった。
問題は、そのクォリティだった。
スポンサーのいる、恵まれた環境の中に生まれた団体、《レッスル夢ファクトリー》は、その旗揚げ戦を終えた。
私達は、混沌としたプロレス界に船出したのだった。

