昭和世代が紡いだ平成プロレス〜格闘夢工場 7 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

    見事に変貌を遂げた三浦博文のラフファイトに会場は騒然となり、収集のつかない状態になってしまった。
『死神』も、ある意味三浦を超えたインパクトを観客に与えた事は間違いない。

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SPWFの2部リーグで頑張っていたM君は、入団テストを受けて合格し、正式にプロレスラーとなった青年である。

その彼も今は五十男だが。

彼は、高校・大学を通してレスリングの選手だったようだが、強かったのか弱かったのか、私は知らない。

私の前に立つM君は、いつもニコニコしているか、オドオドしている印象が強く、体格は立派なものだったが一言で言えば、気は優しくて力持ちと言ったところか。

まぁ、『死神』というキャラにはもっとも向いていないタイプな事は確かだった。


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当時のことを考えてみると、私は彼に会う度に怒鳴っていたことばかりが思い出される。
別に彼が嫌いだった訳ではない。
『死神』というキャラクターを完成させて、花を咲かせてあげたかっただけなのだが。

彼には通じなかったようだが、もともと私が彼に無理な注文をしたことが悪かったのだろう。

この日も私は、彼の試合ぶりに満足しなかったが、観客には受けていたようだった。

そして、この日から彼と私の、周りから見ればまるで漫才のボケとツッコミのやり取りのような関係が始まったのである。

私は、『悪夢軍団』の出陣に合格💮点をつけることにした。

では、『悪夢軍団』の三浦博文と『死神』のことをマスコミはどう評価したのだろう。

当時のプロレス誌を見てみると、・・・あまり書かれていない。

次の試合に登場する『怨霊』・マッドネス組のことももちろんだった。

『怨霊』が、書いて貰えないのは、この日に限って言えば、間違いなく私の責任だった。

『何もしないでいい、今日一日持ってくれればいい、幽霊の様にフラフラして、技を受けて、受けて、そのたびに、ユラユラ起き上がる、効いているのか効いていないのかみたいな・・・自分から攻撃しない事。』

慌てて作り上げた『怨霊』に、私が指示した内容がコレなのだ。

『怨霊』のO君は、忠実に私の指示を守ってくれた。

あの日の私の指示が、違ったものであったなら『怨霊』は一夜にして・・・やめよう、20年も前のことを、タラレバ言ったところで何も生まれない。

この日の選手達は、『悪夢軍団』に限らず、全てが私の作り上げたものを、それぞれの力量の中で精一杯表現してくれた。

私には、感謝しかない。

時は《活字プロレス》全盛期の世紀末。

彼等には、雨後の筍のように林立するインディ団体の大半が、目障りだったのかもしれない。

もちろん、今のプロレスマスコミと各団体の状況は違うと思うし、違っていて欲しい。

私は、新団体を旗揚げするにあたって、自らに課したものがあった。

団体を名乗る以上はここまでは整備しよう、といういくつかの事を決めたのだ。

その話は、次回にしよう。


なかなか、旗揚げ戦が終わらないので、飽きてきた方もいらっしゃるのではないかなぁ。