昭和世代が紡いだ平成プロレス〜格闘夢工場 5 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

    少し話が湿っぽくなって来たので気をつけることにしよう。

湿っぽくもなったし、固くなってしまった。
これも、気をつけなくてはいけない。

旗揚げ戦の風景に戻ることにしよう。


    旗揚げ至る苦労話をわずかに含めて、挨拶を終了させた私は、テレビの解説者席に移動した。

新日本プロレスの練習生という変わった経歴を持った実況アナウンサーのO氏、その横には週刊Gの編集長も務めていたS氏が座っている。
Oアナウンサーを挟んで私の席があった。

S氏は、のちにこの夜の印象を語ってくれたことがある。

《なんで私が呼ばれたのか、よく判らなかったんですよ。まぁ正直な印象を言えば、茂木がカネックとやるのは、無理があると思いましたねぇ、あの頃はですよ、あくまでも。》

この発言は、レッスル夢ファクトリーが群馬県伊勢崎市の体育館に天龍源一郎率いるWAR勢を迎え撃った興行の時で、その日も群馬テレビが中継し、S氏がまた、群馬テレビからのオファーを受けて解説をしてくれた。

《いやあ〜、旗揚げの時はどうなるものかと観ていましたが、よくここまで来ましたね〜》

この日のS氏は、少し興奮気味に話してくれた。

その、伊勢崎市東村の、恐らくは夢ファク史上最高の大会の模様は、後に回すことにとして、旗揚げ戦の会場に戻ろう。


私の挨拶が終了して、いよいよ試合が始まった。

私は、団体側のスタッフと、団体側の音響・照明の担当者に連絡を取るためのインカムを耳に、実況席からリングを見上げていた。

第1試合は、茂木・『神風』vsアステカ・婆娑羅

‼️‼️なんと、いきなり茂木・『神風』組が登場だ。

まぁ、取り組み考えたのは私ですから、驚くこともないのだが・・・。

この日の興行は、タッグ・マッチのトーナメント形式で行われる。

一回戦を参加7チーム中6チームが戦い、1チームがシード。

シードされたのは、カネック・Pマヤ組だ。

三試合目迄が、一回戦になるため、たまたま茂木・『神風』が夢ファク史上、映えある第1試合を務めることになった訳である・・・なんという事はあるはずもない。

メキシコ組はともかく、知名度の低い選手ばかりの我々の旗揚げには、第1試合から観客の目を釘付けにする存在感も技術もない。

興行の成否が第1試合にかかっていると言っても過言ではない。

だからといって、イキナリカネックはないだろう。

それなら、茂木・『神風』しかないと思った。

対戦相手は、『婆娑羅』・アステカ組。

『婆娑羅』は、あの九州から来た青年だ。

私が⦅九州山 友彦⦆というリング・ネームを贈った、あの彼だった。

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パートナーのアステカの試合を私はこの時迄、見たことがない。

どんな試合を見せてくれるのだろうか。

愉しみと不安が私の中で綯い交ぜになっていった時、ゴングが鳴った。