この回を始める前にチョットしたお知らせが有ります。
もっとも、皆さんはもうご存知なのかもしれませんが、私は昨日初めて知りました。
今、苦闘する安倍内閣の新人事で外務大臣に就任した河野太郎氏。
何と、ご本人のブログのタイトルが、『ごまめの歯軋り』なんだそうです。
驚きました。
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それでは、本題に入ると致します。
まったくプロレスの世界と縁の無い私が、その業界とどうやって繋がったのか、そのあたりを今回は話そうと思っています。
波瀾に満ちた私の人生も、と言っても自らそれを求めるような生き方を選んだのは私自身だが。
一度きりの人生、やりたいようにやる。
こんな考えだったのかも知れない。
その私にも、二人の子供が生まれた。
この子供達が、私の人生観に変化を与えた。
親に成って、初めて知る喜びが沢山あったし、自分の子供というのは、理屈抜きに可愛いものだ。
私の父が、自分にとって孫になる二人の可愛いさを
『食べてしまいたい』という言葉で表現したが、その気持ちは判る。
男一人に女一人の二人の子供達の成長を見守って、子供達を中心にした家庭第一の生活が始まった。
給料日の夜に、子供達の喜ぶような店で食事をすることが、恒例になり、週末から泊まりがけで、妻の実家に子供達を連れて行くことも習慣になった。
私はこの頃、自分自身が世に出て、大成することよりも、父親として二人の子供に何をしてあげられるのかを第一に考えるように成っていた。
二人が望むことは、何でもやらせてあげられる環境を整えておこう、それがこれからの私の人生のテーマだと思っていた。
それまで、人の何倍も好きな事をやって来たのだから、不満も後悔も無かった。
そんな日々が続いていた夏の終わりのある日。
〜あなたは、このまま終わる人じゃない〜
この妻の何気ない一言が、私の心の奥で埃を被っていた何かを目醒めさせた。
私は、今でもそう思っている。
季節が秋へと変わった頃だった。
当時、私が働いていた会社の社長には、有名なプロレスラーの友人がいた。
彼は、アマチュアレスリングで国内最強の呼び声も高く、日本が参加を見送ったモスクワ五輪に出場していれば、間違いなくメダルを獲得しただろうと言う話は
永くスポーツ界で語り草になっていた。
そして、A・猪木の新日本プロレスに入団し、プロレスの世界での活躍が始まった。
その彼が、社長を訪ねて会社に来ることがあった。
この頃、彼が来社する回数が増えていたが、その理由は私には判らなかったし、興味もなかった。
プロレス好きは、ラーメン屋のテレビから変わることは無かったが、後楽園ホールや、日本武道館に出没するほど、アグレッシブではなかった。
プロレス観戦は、もっぱらテレビと週刊プロレスだった。
その程度だから、私はファンと呼べるのだろうか。
社長を訪ねて来るプロレスラーは、人懐こい笑顔と、その時に覗く白い歯が印象的な男だった。
有名人を気取ることもなく、庶民的で誰とでも気さくに言葉を交わすような人物だった。
残念な事に、私の好きなプロレスラーの中に彼は入っていなかった。
ファイトスタイルが好きでなかったのかも知れない。
彼と接触する回数が増えるにつれて、私の中の彼に対する好感度は高くなって行った。
接触する回数が増えると、話題も深まってくるものだ。
彼が何故、頻繁に姿を見せるのか、その理由も知った。
モスクワ五輪、タラレバになるが、出場していたらメダルを獲得していたと思うかと私は尋ねた。
この失礼な質問に対しての彼の答えは、見事だった。
『う〜ん、わかんないっスよ。組合わせの有利、不利もありますからね。いいとこ獲れても銅かなぁ、わかんないっす。』
勝負の世界の真ん中に居れば居るほど、勝つか敗けるかだけが、評価なのだ。
明日につながる敗北、などの言葉は周囲が言うことで
闘う本人は、まったく関係ない話だ。
勝負の世界に身を置いていながらも、感傷に浸るような選手に一流の道など開けようもない。
未練がましい心は、強さを構築することが出来ない。
私は、スポーツ選手としての彼は一流なのだと実感した。
私の勤める会社の近くで、彼が自動車販売の事業を立ち上げようとしていることも、その理由も、彼の好感度を上げることになっていた。
彼と話すことが、次第に愉しくなっていた。
彼から、今後のことで、もう一つの計画を伝えられた時は、驚きはしたものの、頑張って成功させて下さいという思い以外なかった。
人は、自分の能力を一番発揮出来る場所で活動することが、幸せだし結果に結びつくことだと思うからだ。
畑違いの業種で頑張ろうとする彼の、将来を見据えた考え方も感心したが、引退はまだ早いと思った。
プロレスラーとして、もっとステイタスを高めることも大事な事だ。
旗揚げ前の雑務の何かで、必要とされるなら喜んで手伝わせて貰おう。
実際には、私が手伝えるような事は無いだろうが。
まさか私が、やがて誕生する団体のフロントの責任者に成るなどとは、まったく、夢にも、微塵も、考えてはいなかった。
人生、一寸先は何とやらである。