昭和世代が紡いだ平成プロレス 序 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

 私が、テレビでしか観ることのなかったプロレスは、永く別世界の存在で、私が進む人生にプロレス界はまったく縁の無いものだった。

幼い頃、何処かの繁華街に在った中華そば屋に父に手を引かれて行った記憶がある。

店の隅の天井近くにテレビが置かれていて、もちろん白黒の角が丸い多分14inchの物だったろう。

大人達がビールを呑みながら、ラーメンを啜りながら喰い入るように観上げていたのは、プロレス中継だった。

自分が何歳だったのかも、明確では無い頃のある夜の出来事。

何故、その店に父と二人で行ったのかも憶えてはいない。

私以外、子供はいなかったように記憶している。

小さなテレビ画面の中で繰り広げられていたのは、力道山と吉村道明のタッグがゼブラキッド組を迎え撃つ場面だった。

その夜、そこで何を食べたかも、当然記憶していない。

けれど、額からおびただしい血を流して外人選手と闘っていた吉村道明の姿ははっきりと記憶している。

現在では、なかなか実感のわかない事かもしれないが、私の小学生時代には、全部の家庭にテレビが有った訳ではない。
東京オリンピックの開催が決まり、急速に普及率は上がったが、それまでは都内でもテレビの無い家庭はあった。

我が家にはテレビが有った為に、毎晩のように近所の子供達の訪問を受けた。

そして、金曜日の夜になると、その子供達に大人の姿が混じった。

それは、プロレス中継の観戦のためだった。

我が家の夕食は、常にご近所の方の監視の中で始まるようになった。

まぁ、異様な光景だったのかもしれない。

我が家のテレビ画面の中で、フレッド・ブラッシーやデストロイヤーが暴れまわっていた。

力道山は、あの頃の私の英雄だった。


懐かしい時代〜昭和。


そして、40年近くが過ぎたある日。

私は、都内のホテルに居た。

その理由は、記者会見を開くためだった。