認知症がすすみ、話をしていても、私を解っていないように見えることもあった。
その母との思い出を辿ると、まず浮かんでくるのは私の幼稚園の頃のこと。
多分私は、5歳くらいだったのだろうか。
日曜日、母に連れられ美容院へ。
そこに着くまでは、ウキウキした気分でいたように思うが、実際はどうだったのだろうか。
なんと言っても、50年以上昔の話だ。
美容院に到着すると、今にして思へば、母の馴染みの店だったのだろう。
店のお姉さん達は母と愉しそうに話している。
そして私は、鏡の前の椅子に座るように促された。
かなり長い時間をかけて、何がなんだか解らないまま、気が付けば、私の頭はチリチリの状態に。
『まぁ〜可愛い』、『龍ちゃん、似合うわよ』などと美容院のお姉さん達に煽てられて、私は気分を良くしていた。
鏡に映る私の頭は、ベティちゃんだった。
翌日、いつものように幼稚園に行く。
そして、私は現実を知る。
幼稚園中と言っても、決して大袈裟ではないほど、みんなが驚きの声をあげた。
パーマをあてた子供など東京の真ん中でも、あまり見かけない、昭和32〜33年頃の話だ。
私の通う幼稚園は、港区芝白金にあったが、そこにも私以外、そんな髪型の子は居なかった。
驚きの波がひくと、次に始まったのは揶揄いと、嘲笑の渦だった。
恥ずかしかった。
ただ、恥ずかしかった。
顔が真っ赤になるのが判った。
逃げ出したかった。
でも、逃げられないほど私は周囲を園児達に取り囲まれていた。
園庭にある水道まで、やっとの思い出辿り着いた私は、蛇口をひねると勢いよく出ている水にチリチリ頭を突っ込んだ。
《水に濡らせば、縮れてしまった髪の毛が真っ直ぐになるかもしれない》
幼なかった私の、精一杯の知恵だった。
《なんで、お母ちゃんはこんな非道いことを僕にするんだ》
夏でもない、肌寒い朝に、泣きながら頭に水をかけている私を、園児達は興味深そうに見ていた。
このことの顛末を、私は憶えていない。
家に帰った私は、幼稚園での出来事を伝えて、髪を戻してもらいたいと母に懇願したように思う。
いつも、髪を栗色に染め、手にはマニキュアを欠かさなかった母は、多分苦笑いしながら私を床屋に連れて行ったのだろう。
今となっては、懐かしい思い出、というだけのことなのだが、当時は死にたいくらい恥ずかしかった。
そのことは、今も忘れない。