恨めしい母の思い出 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

母が逝って、先週の日曜日で四十九日。
認知症がすすみ、話をしていても、私を解っていないように見えることもあった。

その母との思い出を辿ると、まず浮かんでくるのは私の幼稚園の頃のこと。

多分私は、5歳くらいだったのだろうか。

日曜日、母に連れられ美容院へ。

そこに着くまでは、ウキウキした気分でいたように思うが、実際はどうだったのだろうか。

なんと言っても、50年以上昔の話だ。

美容院に到着すると、今にして思へば、母の馴染みの店だったのだろう。
店のお姉さん達は母と愉しそうに話している。

そして私は、鏡の前の椅子に座るように促された。

かなり長い時間をかけて、何がなんだか解らないまま、気が付けば、私の頭はチリチリの状態に。

『まぁ〜可愛い』、『龍ちゃん、似合うわよ』などと美容院のお姉さん達に煽てられて、私は気分を良くしていた。

鏡に映る私の頭は、ベティちゃんだった。

翌日、いつものように幼稚園に行く。

そして、私は現実を知る。

幼稚園中と言っても、決して大袈裟ではないほど、みんなが驚きの声をあげた。

パーマをあてた子供など東京の真ん中でも、あまり見かけない、昭和32〜33年頃の話だ。

私の通う幼稚園は、港区芝白金にあったが、そこにも私以外、そんな髪型の子は居なかった。

驚きの波がひくと、次に始まったのは揶揄いと、嘲笑の渦だった。

恥ずかしかった。

ただ、恥ずかしかった。

顔が真っ赤になるのが判った。

逃げ出したかった。

でも、逃げられないほど私は周囲を園児達に取り囲まれていた。

園庭にある水道まで、やっとの思い出辿り着いた私は、蛇口をひねると勢いよく出ている水にチリチリ頭を突っ込んだ。

《水に濡らせば、縮れてしまった髪の毛が真っ直ぐになるかもしれない》

幼なかった私の、精一杯の知恵だった。

《なんで、お母ちゃんはこんな非道いことを僕にするんだ》

夏でもない、肌寒い朝に、泣きながら頭に水をかけている私を、園児達は興味深そうに見ていた。


このことの顛末を、私は憶えていない。


家に帰った私は、幼稚園での出来事を伝えて、髪を戻してもらいたいと母に懇願したように思う。

いつも、髪を栗色に染め、手にはマニキュアを欠かさなかった母は、多分苦笑いしながら私を床屋に連れて行ったのだろう。

今となっては、懐かしい思い出、というだけのことなのだが、当時は死にたいくらい恥ずかしかった。


そのことは、今も忘れない。