忌々しい暑さの中で | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

テレビで気象予報士が、関東地方の梅雨が明けたと言った途端に、いつもの熊谷の暑さが始まった。
熊谷に住んで、今年でちょうど二十年。
暑い街だとは知ってはいたが、歳のせいか温暖化のせいか年々暑さが堪える。

既に何日も経ってしまったが、重複障害の方達が暮らす施設で予想だにしなかった凶々しい事件が起きた。

おそらくは、日本犯罪史に記される兇悪犯罪のひとつになるだろう。

自首した犯人については、話題にするのも腹立たしいことは言うまでもない。

連行されていく犯人の姿がテレビに映るたびに、虫唾がはしる。
私だけではないだろう。
不気味な笑みを浮かべている顔を見た最初の印象は、
まさしく《悪魔》だった。

人の心の有り様は顔の表情に現れる。

この男が満面に笑みを浮かべる写真を見てもその笑顔には狂気が見える。

まさに、《怪物》であり《悪魔》だ。

惨劇のあった現場で、高齢の男性が涙ながらに話していた言葉が耳に残る。

《障害者の子を持つ親たちにとっては皆んな可愛い、宝物のような存在だ。》そんな趣旨のことを涙ながらに話していた。
そして、最後に《それを、あんな理由でやられちゃうんじゃたまったもんじゃない。》

そういったあと、老人は涙を拭った。

私は、この事件後の報道各社、特にテレビのワイドショーの対応に苛立たしさを募らせている。

犯人逮捕後、一日一日と男の為人がそれらを通じて世間に流布していった。
それは、現在も続いている。
そして、私の若い頃には考えも及ばなかったインターネットよる情報拡散。
男の居住地周辺の、いわゆるご近所さんからの情報。
級友の話、男が通っていたジムのトレーナーの話、それらが、幾重にも重なりながら、拡散し続けている。

男の学生服姿、茶髪に染めた姿、背中一面に施された刺青。
それらに共通しているのは、あの狂気を漂わせた眼と不気味な笑顔。

二度とこの様な事件を起こしてはならない。
二人とこの男の様な人間を創りあげてはならない。
二度と社会的弱者と云われる障害者を悲惨な事件の犠牲にしてはならない。

その為には、事件の全容を詳らかにしなくてはいけない。

すべてが、もっともな話であるし、異論をはさむ余地などない。

私が言いたいのは二点だけだ。


犠牲となった方々の肉親がそれを見なくてはならない事への配慮は。

社会的弱者という言葉、それ自体が差別ではないだろうか?
健常者、障害者、これは差別用語ではないのか?

犯人の男が、ほざいている自論など、聞く耳を持たないのは当然として、《すべての人間が法の下に平等》などという薄っぺらな道徳観が、奴を護ることない事を望む。それだけだ。

《犯行当時、被告は△◯△のため、正常な判断が出来なかった・・・》よく聞く言葉だが、正常なと云われる人間は、大量殺人などしない。
用意周到な準備や、刃を向ける相手の選別など、正常な判断が出来るからこそのこと。

薬物を服用していようが、何をやっていようが、奴の罪状にいささかも酌量の必要などない。
男が、何故この様な事件を起こしたのかを分析するのは、専門家に任せるべきだ。
茶の間に持ち込む事ではない。
普通に生きる人々にこの男の倫理観など理解しようもない。
幼少期から現在までを調べて、こんなな事を仕出かしでも仕方ないという様な理由がある筈はない。
例えあったとしても、多くの人達は、それを克服して生きている。

身体的に身を護る術を持たない人達を、蟻を潰す様に、蝿を叩く様に殺した事実と、命を取り留めた人達と、遺族の心に消しようのない傷を残した事実が有るだけだ。

障害の有る人々に寄り添い、介護の日々を懸命に生きる方達の心にも、この最低な男は消せない傷を残した。

生きる価値を持たない障害者は、男自身だ。

忌々しい暑さが、怒りを増幅させる。