あの日、君はその一歩を踏み出した | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

テレビ、新聞、週刊誌、あらゆるメディアが何らかの特集を組んでいる。

あの日から五年。

それは、君が大きな決断をした日でもある。

駅前の喫茶店で待ち合わせ。

約束の時間は、午後3時。

駐車場に車を停めて、駅の中を通り抜け待ち合わせ場所へと向かう。

15分ほど早く到着した私。

窓際に場所を決め、腰を降ろそうとした時。

何か異変を感じた。

見上げると、天井から吊り下げられた照明器具が見たこともない揺れ方をしている。

足下が大きく揺らいでいる。

地震だ。


私の人生で初めて経験する激しい揺れだった。

新たな出発を決めた君との最初の打合せは、予想外の出来事に見舞われた。

喫茶店の二階の窓に拡がる駅前の風景は、ビルも樹々も街路灯も、激しく揺れている。

店の人の指示で階下へ。

外にいると、いったん収まったかに見えた揺れが、また激しくなった。

自然の驚異を全て経験している訳ではないが、大地が揺れるということが、自分の非力、無力を最も痛切に感じさせると、私は思う。

立ち向う気力、敗けるものかという闘争心、およそ人間が持つポジティブな精神が全てへし折られてしまうように思う。

震源から遠かったために、私自身には被害はなかった。

その後、計画停電やガソリンの不足など地震と原発事故のために被った震災後の不自由など、被災された方々の苦難を思えば、語るに値しない。

私は、津波の驚異も経験していない。

私は、放射能の恐怖も現実味を持っていない。

東日本大震災の被災地で、自然の驚異、愛別離苦の絶望感、忍び寄る原発事故の恐怖、瓦礫になった故郷の風景、思いつく悲惨の表現を書き連ねても、まだ足りないだろう被災地の方々の苦悩と恐怖と悲しみ。

今日、日本はあの日から五年を迎えた。

君も、被災地を遠く離れた場所で五年を迎えた。

あの日から五年。

君が戦い続けた五年。

悪戦苦闘の五年。

そして君が、人として大きく成長したこの五年に、称賛の拍手を贈りたい。

そして、今日から始まる新たな五年にも、君には苦難は連続して起こることだろう。

ただ、確実に言えることは、これからの五年を、
君は勝利する。

間違いなく、勝利する。

悪戦苦闘を乗り越えて決勝点に立つ君。

少女のように。

少しはにかみながら。

輝く笑顔を見せている。

君の勝利の姿が、私には見える。

ともあれ五年の間、お疲れ様でした。

さらなる五年を、さあ!前進しよう!
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