ごまめの気持ち。 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

正月も、今日で九日。

流れ始めた2016年。

参議院議員選挙の年でもあり、新年早々の国会も、賑やかなようだ。

相変わらずの噛み合わない質問と答弁。

やだやだ。

かと思うと、北朝鮮から水爆実験の成功のニュースが流れて来る。

多くの国民を飢えさせている国のトップが今やらなくてはならない事は、こんなことではないだろう。

子供でも判ることだ。

ある人の言葉を思い出した。

その人は、藤原喜明氏。

今も現役のプロレスラーだ。

氏が旗揚げした団体『藤原組』。

この団体が分裂する。

多くの有望な選手が氏の元を去る。

その時、氏が言った言葉。

『私の不徳の致すところ』と前置きして、出て行った人間をとやかく言うことは一切なかった。
そして、『たくさんの若い人を連れて行ったのだから、食べさせてやって下さい。』とだけ告げた。

二十数年前の話だ。


プロレス団体のエピソードと北朝鮮の情勢は、次元の違う話かもしれないが、人を『食べさせる』ということは、大変なことだ。

私にも、食べさせることの出来なかった苦悩の思い出がある。

食べさせるために必死になったこともある。

家族の中心者なら、妻子を。

企業のトップなら、社員を。

国の王なら、国民を。


食べさせる義務と責任がある。

それが、出来なければ家長は、家長ではいられない。
家族の信頼をやがては失う。

社長は、その立場を追われて、権限を取り上げられる。

民主主義の国なら、民衆は首相や、大統領にNOを突き付ける。

あなたは、有り余る権力と引き替えに、何を国民にしてきたのか。

権力の冠には、国民に対する義務と責任がハメ込まれている。

権力のローブには、国民への愛と、慈しみが縫いこまれている。

あなたの冠にはそれがない。

世界の良心はあなたを許さない。

民衆の心までは、従わせることなど出来ない。

不愉快な人間の一年も流れ始めた。

ごまめには、何も変えられない。