『矜持』という言葉。 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

{002D261D-82E4-4C5A-93A7-1E72442BB579:01}

この言葉の意味を広辞苑でみると、《自分の能力を信じていだく誇り。自負。プライド。》とあります。

ということは、仕事上の立場に対する誇りや自負ももちろんだろうと思いますが、人間としての誇りや道徳心、いわゆる人間であるために自らに課すコンプライアンスとも言えないでしょうか。

今、巷では傾いたマンションの話題で持ちきりです。

これも、その業務に携わる人の矜持が原因と言えるように感じるのです。

話は変わりますが、古い映画をDVDで鑑賞することがよくありますが、溝口健二監督の『元禄忠臣蔵』という戦前に製作された映画があります。
刃傷沙汰の舞台となった江戸城松の廊下を監督は原寸大というセットで再現しました。
日本があの大戦の泥沼に踏み込もうとする時期にこんなダイナミックな企画を実現し映画を完成させたことに驚きを覚え賛辞を贈りたいとつくづく思います。

懐古趣味のつもりはないが、やはり昨今のあらゆる分野で、矜持の無さを感じてしまうことは多いです。

矜持の無さが、実在しない細胞を作り出し、矜持の無さが傾くマンションを建設し、矜持の無さが国民の方向に背を向けて、内部分裂を繰り返す政党を生むのではないでしょうか。

その分野、その個人が、真剣に矜持について襟を正した時、日本の文化の素晴らしさを再認識することが出来るような気がします。

まさに、ごまめの歯軋りですね。