曲り角の向こう | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

国会議事堂の周辺。

雨の中、デモの参加者で溢れ。

国会議事堂の中。

私達が国政に送り出した議員達は、乱闘まがいのもみ合いに終始し、稚拙な時間稼ぎの答弁をダラダラと続けて。

集団的自衛権行使についての政府の説明。

阿呆らしさに呆れ返った。

後方支援だから敵の弾丸は飛んで来ない。

万が一、そこで戦闘行為がはじまってしまったら、支援活動を中止してその場を離れる。

戦場が、そんな理屈を通せる場所と思っていることが驚きだったが、このレベルの説明は《丁寧な》という枕詞を付けられて政府から発信され続けている。


国家間の主義主張が、互いに受け容れられない状況が起き、外交交渉が効力を発揮出来ず、どちらかの、または双方の国民に著しい被害が及ぶ時、またはある国が、自国の利益を追求するあまり世界の秩序を壊すような侵略行動をした場合、その抑止の為に戦闘行為に発展する。
概ね、このようなことで戦争は始まるのではないだろうか。

古今東西に答を求めるまでもなく、戦争を始めるのはその国の政府であり、国家元首であり、権力者だ。

そして、先ずその影響を受けるのは庶民である。
戦争が泥沼化した時、もっとも被害を受けるのは、やはり庶民である。

さらに軍人を含めて、若者達を筆頭に一般の庶民が犠牲になる。

累々たる屍の大半は庶民なのだ。


私は、闇雲に反対を唱えようとは思わない。

自分を、自分の大切な家族や友人を、国を護る為に戦わなくてはならない事もあると思う。

日本を取り巻く環境も変化している。

喩えになるかどうか、暑さの報道くらいしかメディアに登場しない私の住む街に、テレビ局の中継車やリポーター、新聞各社等、メディアが押しかけている。

ペルー人の男が起こした連続殺人という凶悪事件が起きたためだ。

ペルー人が日本で殺人事件を起こすことなど、私の子供の頃にはあり得ない事だった。

それも、東京、大阪などの大都市ならまだしもである。


中国人が爆買いツアーでブランド物を漁ることなど30年前には考えようもなかった。

たまにテレビに映る中国の風景には自転車に乗る地味な色合いの服を着た中国人の姿しかなかった。

去年行った上海では、高級外車が行き交っていた。

道幅いっぱいの自転車通勤の風景は、そこになかった。

時代は変わる。

環境も変わる。

価値観も変わる。

インターネットをはじめあらゆる分野の進歩で世界は狭くなり、外国の出来事が日本に直接的な影響を与えることも珍しくはない。

世界との関わりを無視することは出来ない。

強引な軍事力を前面に押し出した外交戦略をとる国を相手にするとき、青臭い平和論など一蹴されることも理解出来る。

しかし、青臭い平和論は、正義なのだ。

戦争は悪以外の何物でもないのだ。

日本が昭和二十年八月十五日から25580余日の永い時間を、戦争を起こさず、戦争に参加せず、歴史上稀な平和国家として歩んで来た事に誇りを持ち、さらに歩数を伸ばすことに一丸となるべきだと思う。

この数え切れない日本人の犠牲の上に築き上げた平和国家が未来永遠に平和国家としてあり続けるために、一丸となるべきだと私は思う。

日本を未来永遠に平和国家とするために、集団的自衛権の行使が時として必要だと言うのならば
政府与党は、反対、反対、と叫ぶ人達を疎んじる前に、あなた方の言う《丁寧な》という枕詞を枕詞にせず具体的に丁寧な説明をするべきだろう。

いかに時間がかかろうと、日本人と日本の未来に関わることなのだから、《丁寧に》やって欲しい。

カレンダーを見ながら日程を気にしたり、他国の思惑を反映させたりしないで欲しい。

そうでなければ、あの戦争で死んでいった数え切れない人々の、尊い生命の犠牲が報われない。

戦後70年。

日本は今、曲り角に辿り着いた。

その曲り角の向こうに私達は何を見るのだろう。
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