目覚めた時に胸に拡がった思い | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

なんでこんなこと。

急に思ったのだろう。

今まで、誰にも話したことはない。

今まで、言葉にしたことさえない。

心の奥の奥、鍵のかかった小箱があるとすれば、その中にしまいこんで、その鍵さえ失くしてしまって開くこともできないような処にある思い。

私には、三十歳になった息子と、三十歳が近い娘がいる。

二人は、私と暮してはいない。

もう立派に大人なのだから、それは珍しいことではない。

息子は、高校を卒業すると直ぐに、進学のきまった大学近くのアパートで暮らし始め、今は勤務先の寮で生活している。

顔を見るのも一年に数回。

娘は、高校時代にアメリカに留学。

大学は英国に留学。

私は、娘が社会に出てから一緒に暮らすようになった。

大人になった娘とは会話も減った。

やがて娘は、私のもとを離れた。

この二人の子供逹の存在に私はどれだけ癒やされてきたことだろう。

とくに、生後三ヶ月を過ぎた頃の娘の笑顔にどれだけ癒され勇気づけられたことか。

目を閉じれば、今も私の脳裏にはっきりと娘の笑顔が浮かぶ。

そして、今も娘の笑顔の眩しさは変わらない。

筋骨隆々と成長した息子の笑顔も、幼い頃と変わらない。


私の密かな夢。

それは、息子の結婚式の日、その会場で新郎の父として祝いの宴に集まった人達を前に挨拶をすることだ。

それともうひとつ、娘の結婚式の日、花嫁の父ととして、娘から定番の手紙仕立ての言葉を貰うことだ。

自分ながら、恥ずかしい夢だ。

だから、誰にも言わない。

二人とも、結婚する様子もない。

私は、この密かな夢を叶えることなく、人生を閉じるのかもしれない。

五月の晴れわたる空を見上げて、束の間思いに浸っている私がいた。