月日の経つのは。
昨年の今日、私は人生で一番の予期せぬ出来事に遭遇した。
その予期せぬ出来事は、30年ぶりに訪れたロサンゼルスで私を待っていた。
驚きと、屈辱と、やり場のない怒りで心はボロボロになった。
汚名返上・名誉挽回という事があるが、実際にそれを実現することは容易ではない。
まったく身に覚えのない事を周囲から決めつけられることの苦しさたるや、筆舌に尽くしがたい。
私は、入国管理局の職員に拳銃に手を掛けられながら、無礼千万な対応をされて、ついには手錠を掛けられた。
『オマエは、ヤクザだろう』に始まり売春組織のボスと決めつけられ、汚い言葉を何度も何度も吐きかけられた。
物騒な言い様になるが、驚きと、不安と、恐怖感を超えた時に、私は『殺意』を伴うほどの怒りが爆発しそうになった。
取締官が、全てを認めれば単なる強制送還で済むが、認めなければ牢獄に入ってもらうことになると言われ
た時、私の腹は決まった。
それまで、馬鹿にされながら、『サムライ』『ハラキリ』『イレズミ』などと言われ続けていた私は、取締官に『我がサムライスピリットと我が信仰にかけて、絶対に認めない!』と下手くそな英語で伝えた。
私の中には、目論見があった。
牢獄に入れると言われても、法治国家のアメリカで、罪状が決まるには裁判が必要だ、そこに持ち込めば私も意見が言える。
日本の領事館も動く筈だ。
弁護士もつく。
何よりも私は、取締官の言うような罪は一切犯してはいない。
ここから、『反転攻勢』だ。

少しの沈黙があった後、取締官は調書を読み上げ、『以上で終わりです。あなたには日本に帰って頂きます。』
余りにも呆気ない幕切れだった。
私は、『???』だった。
日本に帰る便は、翌日の午後までなく、私は犯罪者達の居る、留置場で一夜を過ごし、帰国した。
悪夢のエイプリルフールだった。
日本に帰ってから、時間が経つにつれて、私は彼奴らの悪趣味な悪戯の的にされたのだろうと思う様になった。
ちょうど一年が過ぎたが、忘れることなど、絶対にない。
今も、名誉挽回の活動はしてはいるが、進展しない。
今から二十年近く前、私は同じような屈辱を味わっている。
その首謀者とそれに加担した何人かの人間を、私は今も許してはいない。
もちろん、彼らは私の許しは得たと思っているだろう。
彼らの一部は、私に謝罪をしている。
私は、それ以上の追求をしなかった。
しかし、心は許してはいない。
生まれ変わっても、許さない。
世間的に許したかのようにしているのは、相手のレベルが低すぎるからだ。
ただ、それだけのことだ。
彼らのしたことは、私の中ではロサンゼルスの出来事よりも重い。
最近、『レッスル夢ファクトリー』のメモリアルなイベントをやりたいとか、所縁の選手が集まる興行に来場して欲しいなどと云うお誘いがあり、心の奥にしまい込んだ怒りを呼び覚まされそうになって来てしまい、困惑している。
『ケツの穴が小さい』と云う方がいれば、甘んじてその言葉を聞こう。
しかし、許さない。
被害と屈辱を受けた私が、彼らを気遣い、我慢をする。
可笑しな話ではないか。
現在の我慢が現界である。
私は、これからも『レッスル夢ファクトリー』の事を書くつもりだが、そこに許せない人間の名前は、絶対に載せない。
夢を共有する人間ではないからだ。
許せないことの一番の理由は、福田雅一が私の身の潔白を知らないまま鬼籍に入ってしまったことだ。
読んで不愉快な文章ですが、髙田龍のエイプリルフールは、愚痴をこぼす日だと思って頂いて、お許し頂きたい。
伏してお願い申し上げます。
今を盛りと万朶に咲き薫桜のような潔さを持てないことをお詫びしてこの項を終わらせていただきます。