
私の苦労が始まった。~前回のBlogの末尾を私はこう記した。
今の私の苦労の最たるものは、『花粉症』だ。
本当に辛い。
毎年、毎年この時期になると、春の訪れに対する仄かな嬉しさと、『花粉症』に対する憂鬱さとが、綯い交ぜになってしまい、理屈抜きで桜花爛漫の春を愉しむことが出来ないことが、とても残念でならない。
まあ、還暦過ぎたオヤジの『花粉症』日記など、誰も喜びはしないだろうから、前回の続きを語ることにしよう。
旗揚げから一年も経たずに、『悪夢軍団』に失望していた私は、少しづつ『怨霊』の立ち位置に変化をつけた。
そして『怨霊』は、あっと云う間に団体トップの人気者になって行った。
私は、初めての九州興行が決まった頃に、『怨霊』についての文章を書いたことがあるが、今回はその時のテーマと同じ内容で書いてみようと思う。
題して、『怨霊が生まれた日』。
計画性のない私のこと、長さがどれ程になるか、皆目見当がつかない。
御容赦のほどよろしくお願い致しまして、始めたいと思います。
1995年3月31日~熊谷市民体育館。
今日のような文句無しの晴天。
今日とは違い風も冷たくなく、暖かで穏やかな日だった。
前年の12月、新団体として発足した『レッスル夢ファクトリー』が、いよいよその全貌を明らかにする日がやって来た。
熊谷市内に道場も構え、スポンサー企業のオーナーの配慮で盛大なパーティーも開催していただき、私達は旗揚げ興行へ一直線に進んだ。
途中、想像もしなかった、阪神・淡路大震災が起き、急遽、チャリティーイベントを真新しい道場で開催したりもした。
3月になると、ローカルのテレビ局が報道番組で夢ファクを取り上げてくれ、スタジオにリングを組み試合を観てもらうだけでも???なのに、インタビューに対応している私達のところに、三浦博文が乱入。
お昼の報道番組である。
スタジオは、まさに騒然となった。
まあ、ご愛嬌ということにしておこう。
3月中旬、私はメキシコへ飛び、旗揚げ興行に招聘する選手を決めた。
この頃の忙しさは、かなりのものだったが、不思議に疲れを感じることは無かった。
・・・・・・・・そして、旗揚げの日はやって来た。
晴天の空が、自分達の出発を祝福してくれているようだった。
私は、心地よい緊張感の中を会場に向かった。
午前10時になると、体育館の木製のフロアは厚いビニールのシートで覆われ、その上にパイプ椅子が並びはじめた。
中央ではリングの組み立てが始まり、体育館の高い天井に音が響く。
昼前には、旗揚げ戦の模様を中継するテレビ局の撮影クルーの準備作業がそれに加わる。
午後3時を過ぎると、メキシコから呼んだ選手達が宿舎のホテルを出て、会場に姿を現わす。
私はというと、雑務全般の進捗状況の確認と指示に忙殺されていた。
本番が始まれば、テレビの解説役も待っているし、イベント全体の進行責任者でもあり、来賓客の接遇も当然私の仕事だ。
すべては順調だった。
何もかも。
リングの組み立ても終わり、フロアにはパイプ椅子も並び終わり、整然として開演を待っている。
すでに到着している選手達は、思い思いに時間を過ごしていた。
旧知の選手と談笑する者。
緊張を抑えようと瞑想する者。
早くも、会場内でウォームアップを始めた者。
時間が静かに、そして慌ただしく過ぎて行く。
午後3時30分。
私の脳裏の片隅に、小さな小さな点が。
モヤモヤとしたそれは、不安と言えるようなハッキリしたものではないし、虫が知らせるなど言えるものでもなかったが、微細ではあっても、確かに私の中にあった。
体育館中を動き回り、スタッフや、選手、テレビクルーとの打ち合わせをこなしながら、やはり私の脳裏のに棲みついたそれは、少しづつではあるが確実に大きくなっていた。
『レッスル夢ファクトリー』の旗揚げに、私はいくつものキャラクターを用意していたが、その中で最も重要な存在の選手がいた。
ある人の紹介で出会ったその青年に私は一目惚れした。
身長180㎝超、体重は120㎏程だったろうか。
瞳はブルー。
外見は、どこから見ても外人。
出会った場所は横須賀。
アメリカンフットボールとアマチュアレスリングの経験者。
当時、アメリカマットで活躍し、新日本プロレスのリングで大暴れした『クラッシャー・バンバン・ビガロ』という人気レスラーがいたが、彼はそんなタイプだった。
私は、ひょっとすると大ブレイクするかも知れないと思い、大いに期待したのだ。
私は、『悪夢軍団』が如何にヒールとしてファンに認知されるかが、『レッスル夢ファクトリー』成功の鍵だと思っていた。いや、今でもそう思っている。
その『悪夢軍団』のメンバーは、首領・三浦博文の他に三人のヘビー級の化物を用意した。
髑髏のマスクに『13日の金曜日』のジェイソンのような出で立ちの『ザ・マッドネス』。
『フランケンシュタインの怪物』、『死神』。
そして、死界から甦った地獄の兵士、『ゴースト・ウォーリアー』。
この三人を従えて夢ファクのマットに襲いかかる『三浦博文』。
その三人の化物の中で、私がひそかに一番期待をしていたのが、『ゴースト・ウォーリアー』だった。
その『ゴースト・ウォーリアー』こそ、私が横須賀で出会った青年なのだ。
旗揚げ戦当日の午後4時迄は、『悪夢軍団』のメンバーの中に『怨霊』はいない。
選手の控え室に充てられた部屋のドアを開けて中を見る。彼はまだ来ていない。
私の右腕の時計の針は、4時10分を指している。
《横須賀から来るのだから仕方ない、まだ時間の余裕はある。》
そうは言っても、私の脳裏の微細な点は、この時ハッキリと不安になった。
4時30分、彼の家の電話を鳴らす。
応答はない。
《此方に向かっているのは間違いない。今頃、電話に出たらかえって困る。そろそろ来るはずだ。》
拡がる不安を打ち消す私。
開演は午後6時30分、あと2時間あるが、キャラクターの打ち合わせや、本人のウォームアップの時間も必要なので5時30分がギリギリの線だった。
体育館の玄関に出てみると、既にファンの列が出来ている。
裏口に廻ってみても、そこに人影はない。
また、控え室のドアを開けてみる。
中に彼の姿はない。
身体中の汗腺から嫌な汗が噴き出す。
《昨夜だって電話で話したじゃないか。宜しくお願いしますって言っていたじゃないか。なんでだよ!》
このまま、もし彼が来ないということになると、興行が成立しなくなる可能性もある。
この日の試合は、タッグトーナメント形式だった。
二人で一組のチーム同士が試合をし、勝者は別の勝者チームと試合をする。そして最後まで勝ち残った2チームが決勝戦を戦うことになる。
要するに、1人も欠くことが出来ないのだ。
《どうする、どうする、どうしよう!》
日頃、緊張感を楽しむことが好きだと公言して憚らない私も、それどころではない状況になっていた。
誰に相談したところで、何か良い案が出るとも思えない。
むしろ、旗揚げ戦に臨む選手達を動揺させるだけだろう。
これは、代表である私の仕事なのだ。
私はこの日の特別レフェリー、ミスター・ヒトの処へ走った。
ミスター・ヒト。
力道山の日本プロレス出身、後にアメリカ、メキシコで活躍しカナダ、カルガリーのマットに定着、引退後は多くのレスラーを育てた名伯楽である。
彼一人がいる外人選手用控え室に入ると、私は状況を端的に説明した。
私の話を聞いたミスター・ヒトは、『うーん』と唸ったきり黙ってしまった。
流石の大ベテランも、お手上げ状態ということか。
私は、進退窮まった。
薄暗い控え室の中に二人、重たい沈黙が漂う。
その時、私は背後に人の気配を感じた。
ミスター・ヒトしか居ないと思っていたその部屋に誰かいる。
背後を振り返った私の視線の先に、スタッフの一人、◯◯君がいた。
そして、彼の姿を見た私の思考の歯車は音を立てて動き出した。
時計の針は5時30分を過ぎていた。
・・・・次回に続く。