過去の遺物〜2 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

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私の苦労が始まった。~前回のBlogの末尾を私はこう記した。

今の私の苦労の最たるものは、『花粉症』だ。
本当に辛い。
毎年、毎年この時期になると、春の訪れに対する仄かな嬉しさと、『花粉症』に対する憂鬱さとが、綯い交ぜになってしまい、理屈抜きで桜花爛漫の春を愉しむことが出来ないことが、とても残念でならない。

まあ、還暦過ぎたオヤジの『花粉症』日記など、誰も喜びはしないだろうから、前回の続きを語ることにしよう。

旗揚げから一年も経たずに、『悪夢軍団』に失望していた私は、少しづつ『怨霊』の立ち位置に変化をつけた。

そして『怨霊』は、あっと云う間に団体トップの人気者になって行った。

私は、初めての九州興行が決まった頃に、『怨霊』についての文章を書いたことがあるが、今回はその時のテーマと同じ内容で書いてみようと思う。

題して、『怨霊が生まれた日』。
計画性のない私のこと、長さがどれ程になるか、皆目見当がつかない。

御容赦のほどよろしくお願い致しまして、始めたいと思います。


1995年3月31日~熊谷市民体育館。

今日のような文句無しの晴天。

今日とは違い風も冷たくなく、暖かで穏やかな日だった。

前年の12月、新団体として発足した『レッスル夢ファクトリー』が、いよいよその全貌を明らかにする日がやって来た。

熊谷市内に道場も構え、スポンサー企業のオーナーの配慮で盛大なパーティーも開催していただき、私達は旗揚げ興行へ一直線に進んだ。

途中、想像もしなかった、阪神・淡路大震災が起き、急遽、チャリティーイベントを真新しい道場で開催したりもした。
3月になると、ローカルのテレビ局が報道番組で夢ファクを取り上げてくれ、スタジオにリングを組み試合を観てもらうだけでも???なのに、インタビューに対応している私達のところに、三浦博文が乱入。
お昼の報道番組である。

スタジオは、まさに騒然となった。


まあ、ご愛嬌ということにしておこう。


3月中旬、私はメキシコへ飛び、旗揚げ興行に招聘する選手を決めた。

この頃の忙しさは、かなりのものだったが、不思議に疲れを感じることは無かった。

・・・・・・・・そして、旗揚げの日はやって来た。

晴天の空が、自分達の出発を祝福してくれているようだった。
私は、心地よい緊張感の中を会場に向かった。

午前10時になると、体育館の木製のフロアは厚いビニールのシートで覆われ、その上にパイプ椅子が並びはじめた。

中央ではリングの組み立てが始まり、体育館の高い天井に音が響く。

昼前には、旗揚げ戦の模様を中継するテレビ局の撮影クルーの準備作業がそれに加わる。

午後3時を過ぎると、メキシコから呼んだ選手達が宿舎のホテルを出て、会場に姿を現わす。

私はというと、雑務全般の進捗状況の確認と指示に忙殺されていた。

本番が始まれば、テレビの解説役も待っているし、イベント全体の進行責任者でもあり、来賓客の接遇も当然私の仕事だ。

すべては順調だった。

何もかも。

リングの組み立ても終わり、フロアにはパイプ椅子も並び終わり、整然として開演を待っている。

すでに到着している選手達は、思い思いに時間を過ごしていた。

旧知の選手と談笑する者。

緊張を抑えようと瞑想する者。

早くも、会場内でウォームアップを始めた者。

時間が静かに、そして慌ただしく過ぎて行く。

午後3時30分。

私の脳裏の片隅に、小さな小さな点が。

モヤモヤとしたそれは、不安と言えるようなハッキリしたものではないし、虫が知らせるなど言えるものでもなかったが、微細ではあっても、確かに私の中にあった。
体育館中を動き回り、スタッフや、選手、テレビクルーとの打ち合わせをこなしながら、やはり私の脳裏のに棲みついたそれは、少しづつではあるが確実に大きくなっていた。

『レッスル夢ファクトリー』の旗揚げに、私はいくつものキャラクターを用意していたが、その中で最も重要な存在の選手がいた。

ある人の紹介で出会ったその青年に私は一目惚れした。
身長180㎝超、体重は120㎏程だったろうか。
瞳はブルー。
外見は、どこから見ても外人。

出会った場所は横須賀。

アメリカンフットボールとアマチュアレスリングの経験者。

当時、アメリカマットで活躍し、新日本プロレスのリングで大暴れした『クラッシャー・バンバン・ビガロ』という人気レスラーがいたが、彼はそんなタイプだった。

私は、ひょっとすると大ブレイクするかも知れないと思い、大いに期待したのだ。

私は、『悪夢軍団』が如何にヒールとしてファンに認知されるかが、『レッスル夢ファクトリー』成功の鍵だと思っていた。いや、今でもそう思っている。

その『悪夢軍団』のメンバーは、首領・三浦博文の他に三人のヘビー級の化物を用意した。

髑髏のマスクに『13日の金曜日』のジェイソンのような出で立ちの『ザ・マッドネス』。

『フランケンシュタインの怪物』、『死神』。

そして、死界から甦った地獄の兵士、『ゴースト・ウォーリアー』。

この三人を従えて夢ファクのマットに襲いかかる『三浦博文』。

その三人の化物の中で、私がひそかに一番期待をしていたのが、『ゴースト・ウォーリアー』だった。

その『ゴースト・ウォーリアー』こそ、私が横須賀で出会った青年なのだ。

旗揚げ戦当日の午後4時迄は、『悪夢軍団』のメンバーの中に『怨霊』はいない。

選手の控え室に充てられた部屋のドアを開けて中を見る。彼はまだ来ていない。

私の右腕の時計の針は、4時10分を指している。

《横須賀から来るのだから仕方ない、まだ時間の余裕はある。》

そうは言っても、私の脳裏の微細な点は、この時ハッキリと不安になった。

4時30分、彼の家の電話を鳴らす。

応答はない。

《此方に向かっているのは間違いない。今頃、電話に出たらかえって困る。そろそろ来るはずだ。》

拡がる不安を打ち消す私。

開演は午後6時30分、あと2時間あるが、キャラクターの打ち合わせや、本人のウォームアップの時間も必要なので5時30分がギリギリの線だった。

体育館の玄関に出てみると、既にファンの列が出来ている。
裏口に廻ってみても、そこに人影はない。

また、控え室のドアを開けてみる。
中に彼の姿はない。

身体中の汗腺から嫌な汗が噴き出す。

《昨夜だって電話で話したじゃないか。宜しくお願いしますって言っていたじゃないか。なんでだよ!》

このまま、もし彼が来ないということになると、興行が成立しなくなる可能性もある。

この日の試合は、タッグトーナメント形式だった。

二人で一組のチーム同士が試合をし、勝者は別の勝者チームと試合をする。そして最後まで勝ち残った2チームが決勝戦を戦うことになる。

要するに、1人も欠くことが出来ないのだ。

《どうする、どうする、どうしよう!》
日頃、緊張感を楽しむことが好きだと公言して憚らない私も、それどころではない状況になっていた。

誰に相談したところで、何か良い案が出るとも思えない。
むしろ、旗揚げ戦に臨む選手達を動揺させるだけだろう。
これは、代表である私の仕事なのだ。

私はこの日の特別レフェリー、ミスター・ヒトの処へ走った。

ミスター・ヒト。
力道山の日本プロレス出身、後にアメリカ、メキシコで活躍しカナダ、カルガリーのマットに定着、引退後は多くのレスラーを育てた名伯楽である。

彼一人がいる外人選手用控え室に入ると、私は状況を端的に説明した。

私の話を聞いたミスター・ヒトは、『うーん』と唸ったきり黙ってしまった。

流石の大ベテランも、お手上げ状態ということか。

私は、進退窮まった。

薄暗い控え室の中に二人、重たい沈黙が漂う。

その時、私は背後に人の気配を感じた。

ミスター・ヒトしか居ないと思っていたその部屋に誰かいる。

背後を振り返った私の視線の先に、スタッフの一人、◯◯君がいた。

そして、彼の姿を見た私の思考の歯車は音を立てて動き出した。

時計の針は5時30分を過ぎていた。


                                            ・・・・次回に続く。