終戦記念日 2 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。


   今日、あるコラムの中に都内の大学祭での出来事が。
沖縄から戦争体験者を招聘して、沖縄戦の実態を聞こうと云う企画。沖縄戦のことを語る時、沖縄の人は『ありったけの地獄』と云う。
この大学祭のイベントのテーマは
『継承』ではなく、『継生』。その趣旨は
戦争を知らない若い世代が戦争の悲惨さや反戦の思いを、体験を聴き『継いで生きる』と云う強い思いを込めた造語だと云う。
昨年の八月、十五歳で沖縄戦を体験した老婦人が『平和の礎』【沖縄戦で犠牲になられた二十四万人以上の名前が刻まれた石碑】の前で自らの体験を語る。
『誰ひとり、死にたくて死んだわけではない。ここに刻まれた人達の声なき声を全世界の人に伝える使命があるから、私は生きているんです。』
『皆さんが、私の戦争体験を受け継ぎ、次の世代につないでください、その時が私の終戦日です。』
このコラムは、次のように結ばれている。
戦争を追体験することが、一人一人の心に『平和の砦』を築く。
六十九回目の『終戦の日』
自らが『継生』の人でありたいと思う。