散る桜、遺る桜も、散る桜 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。




満開の時期が過ぎ、あちこちの桜並木の下は舞い散る桜の花びらの量が日増しに多く成っている。

気がついた時には、全てが葉桜に変わっているのだろう。

慌ただしさの中、今年は花見もしていない。

ずっと以前、livedoorにブログを載せていた頃に書いたことがあるが、桜の樹は、開花の時期が近づいてくると樹皮の下の組織も桜色に染まるのだという。
太い幹から枝の先まで堅い樹皮の下では、樹全体が、開花に備えるのだそうだ。
淡いピンクが美しい桜染も染料として用いるのは花びらではなく、黒ずんだ樹皮である。

人に見られ、喜ばれる花びらの美しさは、根の先から枝枝の端まで、桜の樹全体が賢明に創り上げた美しさなのだ。

桜の花ほど、日本人に好かれる花はない。

開花に心和ませ、散りゆく花の桜吹雪に哀れを感じ、古来より日本人にとって、桜は他の花々とは違った存在である。
いっきに万朶と咲き誇り、刹那に散りゆく様は、武士道精神にも通じ、日本人の精神土壌と融合する所以なのだろう。

桜の如く生き、桜の如く死んでいきたい。

多くの人はそう思う。

私も、難しいことではあるが、そうありたいと思う一人だ。

一般市民には、現実味のない巨額の融資を受けた政党の代表が糾弾された。

常日頃、他の政治家の不祥事には舌鋒鋭く迫り、容赦ないことこの上ない人間だった。

金の使途についても、陳腐な言い訳をする姿も、国士を気取る人物の発言とは思えない内容にも幻滅してしまう。

この後に及んでなお、体裁を繕うこの人物の記者会見の姿は、哀れにも映る。

一瞬見せた眼鏡の奥の眼は淀み、虚ろに焦点が定まらず、狩人に追い立てられた臆病で狡猾な老狐のそれだった。

彼のあの眼には、今年の桜の散りゆく様は、どう映っているのだろう。





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