忘れない出来事。 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。







三月の二三日、妻が長い間営んでいたピアノ教室を閉じた。
たしか、五~六歳の頃からピアノを習い始めたと聞いている。
小中高とピアノの一筋と言ってもいい時代を経て音大生となり、やがて社会人となり、ピアノの講師の道を歩み始めた。
私は、彼女のピアノが好きだ。
家庭の事情で四年制の音大を諦めて短大に進んだのだが、それが彼女の心の奥に醜りとなっていたのは三十年近く連れ添った私には判った。

元来、教えることよりも、弾くことの方が好きな女性だった。

私は、何度も、何度も演奏家への道を志してみないかと勧めたが、彼女がそうすることはなかった。

それでも、いろいろな機会に、請われて演奏することは多かったのだが、彼女の奏でるピアノの曲に涙する人の姿を何度も見ている。
私が言うのも、如何なものかとは思うが彼女のピアノはいい。
芸術の世界にも、学歴、学閥が有ることは知っている。

しかし、若い頃、演出家の様な仕事をしていた私は、音源として凡ゆるジャンルの音楽を聴いていたことがあって、耳に自信を持っている。
彼女のピアノはいい。

演奏家に成れなかったことが惜しまれる。

彼女のピアノを、私が褒める理由は身内だからでは無い。

音楽に取り組む姿勢も真摯だからだ。
努力。精進。
主婦業のかたわら時間をこじ開ける様にしてピアノのに向かう彼女の姿には、私がかつて身近に接したことの有る一流と云えるアーティスト達が醸し出す空気感が有るからだ。

その彼女が教え子達とひらいた最後の小さなコンサート。

眼を真っ赤にして別れを惜しんでいた教え子達とその父兄の姿。

その人達の誰かから贈られた花束をバラしてモーニングカップに活けた物がこの写真だ。
もちろん切り花なのだが、意気揚々と出かけたロスアンゼルスで、我が人生最大の、と言ってもけして大袈裟ではないであろう忘れがたき出来事に、打ち拉がれた私を、待つ人のいなくなった我が家の玄関で無言で出迎えてくれたのがこの花達だった。

不思議に今日もまだ枯れずに玄関にいる。

私の忘れがたき出来事については、またいつか聞いてもらうこととしよう。

皆さん、『好事魔多し』です。
くれぐれも御用心下さい。


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