夏から秋にかけて、周辺には慌ただしい動きが有った。
書込みもだいぶ疎かになっている。
ところで、最近ある事に気がついた。
久々の投稿に相応しい内容か如何か疑問符が付くが、私は二年ほど前からそれ迄余程のことが無い限り利用することがなかった電車に乗ることが多くなった。
最初は乗り継ぎがよく判らず駅でまごまごすることもしょっちゅうだったが、最近やっと慣れて来たところだ。とくに地下鉄が苦手だったが、地下鉄だけは今も苦手は変わらない。
気がついた事とは、電車に纏わる事なのだが、駅の構内や電車内で、ダイヤの乱れや、運転停止などを知らせるアナウンスを聴く事がある、その理由が殆ど『ーー人身事故による』ものの様に思える。
駅のホームで、何処其処の踏切で、人身事故が発生し、電車に遅れや運休が生じたと云う事は、あまり珍しくも無い時代に成ったようだ。
私の幼い頃には珍しい事故と云うか、今ほど多くは無かった。
それに、誤って踏切に入ってしまいとか、ホームから落ちてなどということはあまり有ることではなかろう。
したがって『人身事故』は、大半が自らの意志による事故、つまりは、『自死』と云う事になる。
『自死』と『自殺』の違いがよく判らないが、『飛び込み自殺』と云う方法は、かつてポュラーなものではなかった。
今は、毎日の様にと感じるほど、頻繁に電車が止まる。
自殺者の数は年間三万人を超えるという。
死を選択した人のことを軽々に批評することは出来ないが、方法手段を問わず、それ以外の選択肢が無かったのだろうか。
絶対に有ったと私は思う。
今、もしそんな事を考えている人がいたら、先ず深呼吸して、考えよう。
そして、誰かに繋がろう、もちろん、それが出来なくて自殺を選ぼうとしているのは判るが、尊い命のことだもの
、これ以上は無いくらい考え、悩み、どんなに時間を費やしてもやり過ぎなど無い筈。
基本的には思い留まり、生きて行こうと決まる迄、考えて考えて考えて貰いたい。
近くの誰かに信号を送り、手を差し出して欲しい。
電話でもmailでも構わないから、生き残る為に、あがいて欲しい。
一度きりの人生だと云う事を考えれば
不様だって構わない。
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