春~あらゆるものの蘇生の時 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。


春ですね~今年も。
最近は何かと生まれ持っての筆不精が全開で、更新が中々出来ないで居る。
元々、私は書くことも描くことも得意では無い。
なのに物心ついた頃から、何故か私の周りでの評価は『龍チャンは絵が上手、作文もとても上手。』などと云われて来た。
その私は、還暦の年を迎えて、小説家にも画家にも成ってはいない。
その理由に最近気付いた、では無く、目を向けたと言った方が正しいかも知れないが、私は粘り強くないのだ。
飽きっぽいのかもしれない、いや間違い無く飽きっぽい。それを証明するエピソードが私にはいくつか有るが、そのうちの一つ。
随分と古い話になるが、多分小学校の五年生か六年生の事だ、クラスメイトの顔を描きましょうと云う担任の先生の提案で図工の時間にクラスの全員が相手を決めて描き始めた。
私は当時、クラスで一番勉強の出来る女子生徒の顔を描く事にした。
何故その女生徒をモデルにしたのかと云うと、その娘が可愛かった訳でも好きだった訳でもなく、たまたま私の座っていた処から見やすい場所に居たというだけの事だった。
おまけに私はその娘が嫌いで、私がそんな風だから相手も以心伝心で私に対して全身から大っ嫌いオーラを放っていた。
そして、私の描いた彼女の肖像画は背景の部分にかなり未完成な箇所を残して時間切れの為にそのまま提出する事になってしまったのだ。
何故かと云えば私が描く作業に飽きてしまった為なのだが、私達の学年全員が描いたクラスメイトの肖像画は東京都のコンクールに出展することに成った。
私の描いた絵はあちこちまだ絵の具の塗れていない箇所も有り、入選する訳は無いに決まっていると当然思っていたのだが、なんと予想に反して東京都中の小学六年生を対象にしたコンクールに入選ししてしま
った。
担任の先生も、出すことは出したものの未完成では対象外と思っていたらしく、とても喜んでくれた事を
憶えている。
もう一つ、エピソードが有る。
やはり私が小学校六年生の事だ。東京オリンピックの翌年私は小学校を卒業したのだが、一月頃から卒業
文集を作る事になり、ホームルームの時間や自習時間を利用して皆で準備を進めていくことに成ったのだが、古い事でよく憶えていないが、私が立候補したのか周りに薦められたのか、その卒業文集に私は童話
を書く事に成ったのだ。
文集全体の構成も決まり、製作に向けて各項目の責任者も選出されて私達は卒業文集の完成を目指しクラ
ス全員で頑張ったが、私はいつものマイペースで興が乗れば書くが飽きれば鉛筆を放り出すといった有様だった様に思う。
私の書下ろし創作童話、確か題名は…忘れました。
概の内容は、昔、ある村に身体の小さ過ぎる事に悩んでいる『ビッグ』という名前の男の子と『リトル』
という名前の身体の大きい事に悩む男の子が、お互いの悩みを解決する為の方法を探しに旅に出るという
物語で、旅の途中で二人が魔法使いや怪物に出会い命辛々の思いをしたり、困っている人を助けたりしな
がら、目的の悩みを解決する方法にたどり着くという、古今東西のおとぎ話の彼方此方をつなぎ合わせた
様なオリジナリティ溢れる(?)物語だ。
休み時間も放課後も、家に帰ってからも一人前の作家気取りで執筆に励みました。モチロン気が向いた時にはなのだが、一枚書き上げる度に先生のところに原稿用紙を持って行くと、面白い面白いと喜んでくれ、何といっても普段怒られる事は有っても褒められた事など無い私だから、気分の好い時間を過ごして
いたことは間違いない。
しかし、物事には必ず期限が有る。
私の創作童話は原稿締切日を大巾に超えても尚、完成していない。
私の文章能力を高く評価して下さって、待つに待って下さっていた担任の先生も、『高田君、もう時間的にギリギリなの、好い方法無いかしら』~余談だが担任の先生は当時28歳の独身美人教師だ~とギブアップ宣言。
なんとか一日だけ猶予を貰った私は、明け方近く迄机に向かい先生の期待に応えるぞと意気込んでは見たが、どう云う訳か机に向かうと眠くなると云う癖が有り、明け方迄のほとんどを熟睡してしまい、慌てふためいて書き上げた原稿を持って登校し、先生の前に立ったのである。
『高田君、書き上げたの!ご苦労様』先生は爽やかな私の笑顔を見て、孤軍奮闘した私が達成感に浸りな
がら自分の前に立っていると思い込んだのだろうか、実際はたっぷり熟睡したおかげの爽やかさだったのだが・・・。
先生は私の手から書き上げた最後の原稿を受け取ると、結末は如何にといった表情で読み始める。
しばらくして、先生の笑い声が教室中に響き渡った。
書き上げた原稿の結末は、二人が今度こそとの思いで向かった山奥の洞窟にも二人の求める物は無く、次
に望みを繋ぐ情報を得て海の向こうのひとつ目の巨人が棲む島へ出発するところで終わっていて、末尾に
書いてあった『続く』の文字にぶつかった先生は思わず吹き出してしまったのだ。
卒業文集に『続きは無いヤロウ』と上方漫才師に突っ込みを入れられそうな高田龍12歳の苦肉の策だった。
その物語の続編は、モチロン作者が還暦を迎えようとする今日迄、書かれてはいない。
還暦は暦が戻ると云う事だと思うが、私は今年から10年計画で作家に成ろうと思っている、才能が有るのか無いのか私には判らないが、いつの頃からか書く事が好きにはなった。
そして、この歳に為って実感したのは、才能とは、努力や達成しようと云う執念が有って始めて語れるも
ので、それ無くしては単に素質にしか過ぎない。
あらゆるものの蘇生の季節、この春に過去の失敗や不足を糧として、私も新たに一歩を踏み出すことにした。