桜…咲く。 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

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関東も桜が満開の時期を迎えた。
被災地の東北はまだだろうか。
桜には、人の心を癒す力が有るようだ。

とくに、日本人にとって桜と云う花には、何か特別な存在の様である。

被災地の石巻市に10日、首相が 視察に入った。

市役所に出向き、沿岸部や避難所を訪問。

被災した人達に激励の声をかけて廻ったそうだ。

ある人曰く、『10分程度の視察で何を知るつもりか』

ある人曰く、『握手してくれて、《頑張れ!》と云われたが、家を失い、船も失い、何をどう頑張れば好いのか』

ある人曰く、『来るのが、遅すぎる』

一国の統領の肩書きを引っ提げてみたところで、傷つき疲れきった人々の心を癒すことも出来ない。

国の為に、国民の為に命懸けになる事の出来ない首相に誰も頼りはしない。

『民意』という言葉を、好んで使い、政権交代を成し遂げはしたが、国民の為にもっとも力を発揮しなくてはならないこの今、『民』の『意』(こころ)とはもっとも遠い処に立って居るのでは、と思ってしまう。

私の知る、県会議員は、今回の震災の発生後、いち早く東北へ向けて出発、現地の状況を把握した後、救援物資をトラックに積み込み、選挙戦の最中にも拘わらず二度にわたり被災地へ乗り込んでいる。

当落線上を、行き来する厳しい立場で在りながら、人として、政治家として、今、最優先にすることは何か、との自身の選択だったようである。

もちろん、関東地方の県会議員である。

選挙戦のパフォーマンスにもならない事は言うまでもない。

国家的な危機の時、指導者としての資質が見える。

その資質とは、どこまでも人の為に生き、人の為に働き、人の為に死んでいく。

その覚悟が有るのか、無いのか、それだけである。

『君が憂いに我は泣き、我が悦びに、君は舞う』

いでよ、大感情の勇気有る指導者よ、桜のごとき勇者よ。